「今日は満月だったのか…」
独り屋上に上がり、フリックは城内と屋上を隔てる一対の扉を開け、眼前に広がった景色に息を飲んだ。
夕食後ふと見上げた空は曇っていて、星すらも見えなかったのに…今では雲もすっかり流れ青白いまんまるな月が夜空に輝いている。城の最上部という高い位置も手伝って素晴らしい眺めだ。
(寝付けれなかっただけなんだが…得をしたな)
フリックは気分が良くなり、さらにその月を堪能しようと歩みを進め屋上の縁に近づいた。すると肌寒い風がそれを拒むかのように強く吹く。
トレードマークの青いマントが風に煽られてバサリとたなびいた。
(そんなに長くは居られない、か)
よろけそうになる身体を足を踏みしめて堪える。今日は特に風が強いらしい、そのおかげで雲も流れたわけだが…昼間天気があまり良くなかったせいか風が冷たい。この強風の中、長時間身体を晒してはいられないだろう。
装備を解かなくて良かったな…フリックはなびくマントを手繰り寄せ、自分に巻き付ける。防寒も兼ねたそれは幾ばくか体温を戻してくれた。
酒でも持って来れば良かった…と思い戻ろうと振り返った時、カツン、と小さな足音が一つ。何処からか響いた。
「……誰だ…!」
ふいに現れた気配に鋭く誰何の声を投げる。
油断なく凝視する瞳がその姿を捕らえ…ふっと柔らかく細められた。
「何だ、お前か・・・」
「ご挨拶だね」
相変わらず無愛想に答え姿を見せる少年、ルックはいつものローブ姿よりもさらに軽装な格好で、月明かりの中に歩み出た。
「…お前、そんな格好で風邪を引くぞ?」
現れたその姿を見て、顔を顰める。いつものローブの下に着ているのだろうハイネックの白いシャツと白いズボン…そして無造作に一枚、薄い水色のストールが巻き付けられているだけ。
重装備の自分でも寒いと感じると言うのに・・・
ルックはそんな心配げなフリックの言葉に何も答えずにふわりと身体を浮かすと、フリックの後ろ、屋上の淵の石壁にトン、と舞い降りた。強い風にも揺ぎ無く立つその姿は、月光を浴びて舞う白いストールがまるで羽のように見えてとても幻想的だ。
危ない…という言葉も忘れ、フリックは目を惹かれて暫くの間見上げて居た。
「風は僕を拒まない」
少し高い、感情が入らないせいで無機質に聞こえる声がぽつりと呟いた。小さな声だったのに、不思議な事にはっきりと耳に届く。その意味を捉えかねてフリックは首を傾げた。
「体温を奪う事もなければ、こうしていて身体を揺るがす事もない」
続けられる言葉にそれがやっと先の自分への返答だと言う事に気づく。
ルックの衣服やその柔らかそうな茶色い髪は強風に任せるままになびいている。にも関わらずしっかりとその不安定な場所に立っていられるのは、なるほど…風の所有者らしい言葉だ。
「そうだったな…でも、見ている方は寒くなってくるな」
彼が風を自在に操れる事を思い出し納得するはするが…人間の感覚はたとえ理屈で説明できても変えられるものではないらしい、寒そうに思えるその姿を見ると、自分まで震えが起こる事に苦笑した。
「暖めてあげようか?」
幾分か顔を青ざめさせているフリックを見て、何時の間にか座って足を組んだ格好のルックが声をかける。
含まれる意味に気づかずきょとんとそちらに顔を上げた。
「どうやって?」
思わぬ時間風に晒され、自分の体温はかなり下がっていた。何となくルックを一人にして帰れもせず、かといってこのままここに居れば自分が風邪を引くのは時間の問題で、温まる方法があるなら実行したい所だ。
「お前が湯たんぽにでもなってくれるのか?」
冗談めいて手を広げるフリックにルックはくすりと笑い、石壁からふわりと身体を傾け素直にその腕に飛び降りた。
まさか自分の軽口に乗ってくるとは思わず、驚いて慌ててその身体を受け止める。
自分より一回り小さい軽い身体は苦もなく抱きとめられ、自分の腕にすっぽりと収まる。ルックは体温がそうは高くないようだが…それでも伝わってくる人の温もりに確かに暖められるような気がした。
「まぁ…くっついて暖を取るのは良い方法だろうがな…そろそろ中に戻らないか?」
軽く背を叩いて腕の中の湯たんぽにそう話し掛ける。いくらマシになったとはいえ、寒いものは寒い。それにルックはあぁは言うものの、やはり長い間風に吹かれるのはあまり身体の為には良くない気がする。
もぞ…と身動きするルックが自分に同意したものだと思い、その腕を弛めた。すると下からふいに腕が伸ばされその首に巻きつけられる。
「……な…?」
唐突な行動に面食らって瞳を瞬かせていると、思わぬ強い力で頭を引き寄せられた。
「……っ」
咄嗟に顔を引こうとしたが間に合わず、そのまま顔が接近して唇が重ねられた。
首に掛けられた腕はしっかりとその頭を抱え込み、抱きしめられている。
突然の事でどういう対応をして良いのかわからず戸惑っていると、緩く結ばれていたその唇を割ろうとする少年の―――
「……っ…やめろ…って!!」
進入して来ようとするものにさすがに我に返ったフリックは、肩を押してその身体を引き離した。
「……大人しくしてたらちょっとは暖かくなったかもよ?」
…冗談が過ぎる…と、むっとした表情で睨んでいるフリックにルックはさらりと言い放つ。
その悪びれもしない態度に文句を言おうとしたが、すぐに続けられたからかいの言葉で飲み込まれた。
「たかがキスごときで…本当、青いね」
あからさまに馬鹿にする言葉、挑発するようにくすりと笑う口元。
「暖められるって言うのか?」
フリックは押し殺した声で言い、目を細める。
馬鹿にして……
「試していいわけ…?無理はしない方が良いよ?」
「…………」
揶揄する口調をやめないルックにフリックはもう言葉もなく、その身体を引き寄せると先ほど拒んだ行為を自ら実行した。
再び重ね合わされる唇……ルックは薄く開いた瞳で至近距離にあるフリックの睫を見る。
……本当、単純…
簡単に挑発に乗るフリックに内心嘆息する。だが…せっかく乗ってきたのだから―――
白く照る光の中、暫く二つの影が合わさったまま、静止して動かない。
ルックの両腕を掴み覆い被さるようにしているその姿は、はたから見るとフリックからの行為に見えるが…
(実際、そうだったのだが)先に根を上げたのは……
「……ふ…っ…は…あ……お、お前……何処でこんな事覚えて来たんだ…」
フリックは耐え切れずに顔を離した。少々息を乱して顔を上気させている様は明らかに情を乱された証拠。
「さあね?……暖かくなったでしょ…?」
それとは対照的に平然としたルックは、青い瞳を見上げてにっこりと微笑んだ。
その艶然とした姿が勝ち誇ってるように見える。実際、翻弄されてしまったのは確かな事で…それでも…
「……少しはな………」
認めるのが悔しくてそう言って視線を逸らした。負け惜しみだと言う事は重々承知していたが。
それにしてもあまりにも情けない、確かにそういった色事が得意な方ではないが…よもや10も年下の少年に翻弄されるなんて。
ルックは俯いて苦悩しているその様子を見てくすり…と笑うと
「風邪…これでひかないね…?」
微笑交じりの声で言った。
消え入るような感のそれにはっと顔を上げると、すでに姿が薄れかけていた少年は引き止める間もなくすう…と風に溶けた。
後に残されたのは…まるで意思があるかのように自分の首元にふわりと落ちるストール。
「あいつ……」
暖かいその上質な布の質感を手で確かめると、苦笑いしてそのストールを握り締め、顔を埋める。
からかっていたのは確かだろう…だが―――
「全く……何処までが本気なんだか…」
ふう…と溜息を付き独りごちると、くるりときびすを返し暗闇の中へと歩いて行った。
背に輝く月の光を感じながら。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
あぁ…!!何だか中途半端になってしまった!!(汗)