鬱蒼とした森林。
静寂に包まれた辺りから聞こえるのは、普段なら鳥の鳴き声か樹木のざわめきくらいなものだろう。
その樹海とでも言えそうな深い森に喧騒が巻き起こっていた。
血生臭い匂いと剣戟の音。激しく薙ぎ倒されるような響き。
誰が聞いてもそれは、戦いの場面である事が容易に想像できる。
そんな中、その場面にはあまり似つかわしくない、少年の声が響いた。
「フリック…!」
彼にしては珍しい、焦りを含んだ様子で自分の名を呼んだ。
「なんだっ」
俺もそう悠長に返事をしていられなかった。
襲いくるモンスターの攻撃から必死で身をかわし、応戦しながら視線を送る事もできない。
寸前を通り過ぎる鋭い爪を剣で受け流す。返す刃で胴体を凪ぎ、1匹を仕留めた。
「アンタ確か水のLV4魔法あったよね?」
後ろから聞こえる声に荒い呼吸音が混じる。確認は出来ないが、彼も魔法を駆使して防いでいるのだろう。
赤く汚れた刃を、ぶん…と、振るっておざなりに血を払った。
「一応今は使えるが…まさか、」
呼吸を整えながらその質問の意図を読んで横目で彼を見る。
ルックは風の刃で2〜3匹まとめて細切れにし、ふぅ…と疲れたように吐息を吐いていた。
そこで一旦攻撃が止んだ。
周りを囲んでいる獣系のモンスターはこちらが手強いのをようやく理解したのか、暫く距離を置いて様子を窺っている。
一体どれだけの数がいるのか…その、たとえて言うなら狼のようなモンスターは角張った骨が皮膚から透けて見え、グロテスクな風体をしていた。大きく裂けた口からは長い舌がべろん…と垂れ下がり、俺たちで腹を満たそうとでもしているのか唾液がだらしなく流れていた。
1匹、2匹ならなんの問題もない相手だ。
しかし、この辺一帯を根城にでもしているのか後から後から湧いて出てくる。
途切れない攻撃に、苦戦を強いられていた。
獣たち慎重にじりじりと距離を寄せてくる。
大きな樹木を背にして応戦していた俺たちに徐々に近づいてくる。
「出来るよね?」
結果的に暫くの小休止となり、息を整えたルックが落ち着いた声で問い掛けてきた。
俺も同じように大きく呼吸をして彼を見る。
「無理だ、俺とお前じゃ魔力に差がありすぎる、よほどお前1人の方が良くないか?」
「……多分、範囲が足りない」
ルックはざっと辺りを見回して言う。単独の魔法では一層するのは無理だと言っているらしい。
「だが……」
暴発したらどうするんだ――と返そうとした所で、束の間の休息が終わった。
再び獣どもが動き出したのだ。
一斉に畳み掛けようとしているのか、同士でぶつかり合いながらも鋭い牙を向けてくる。
「僕を誰だと思ってるの?合わせてみせるよ」
「しかし、集中に入っちまったら防御が…っ」
LV4魔法ともなると片手間に出来るものじゃない。完全に攻撃の手を止めれる状況じゃないのだ。今でさえ、喋るのもやっとの状態だというのに。
「風のシールドを張るから」
「そんな事したらお前の負担が大きすぎるだろう!?」
「煩いな…!死にたくなかったらとっとと集中して、アンタの方が時間がかかるんだから!!」
了承しない俺に焦れてルックは声を荒げて叫び、前に出る。
あぶない…っ、と思った瞬間、二人を包むように激しい風が吹き、迫ってきていた数匹が弾き飛ばされた。ルックはそのまま暫く、その風の壁を維持するつもりらしい。
「……ったく、どうなっても知らねーぞ…!」
こうなったら乗るしかない。考えてる場合じゃないのも確かなのだ。
胸の前に両手で剣を持ち、握る手に力を込めて瞳を閉じ魔法の詠唱に入る。
はっきり言って自信がないのは自分の方である。
雷ならともかく、便利だからつけているだけの水の紋章はあまり得意ではなかった。
しかも水の高位魔法は今まで使った事がないのだ。
だが、使えるだけの魔力はある。不安は魔法の安定を悪くする。
俺は覚悟を決めて全ての精神力を傾け、一点に魔力を集中させていった。
「……ルック…っ」
数十秒後、完成を伝える為に瞳を開いて前方を見る。
少年は自分をまるで庇うように立ちはだかり、ロッドを高く掲げ、彼特有の緑のオーラに包まれていた。
強い力を感じるそれに、既に魔法を完成させている事がわかった。
「行くよ…」
「……っ!!」
声を聞くまでもなく、タイミングを図っていたらしい。
振り返りもせずに合図の発声をするルックに、俺は促されるまま前方に剣を向けて魔力を解放した。
同時に同じ方向に向けられたルックのロッドから風が巻き起こる。
相性の良い二つの上位魔法が組合わさった時、相互干渉が起こり元の魔法とは全く違った効果が現れる。
なるほど、俺たちが放ったそれぞれの魔法は、常と違う軌道でお互い絡み合うように軌跡を描いていた。
空中から溢れる水を包み込むように風が渦を巻く。その流れに導かれるままに纏わり付いた水は収縮され、雄々しい水龍の形に生成された。
しかし、水龍は上空でモンスターを威嚇し魔力の余波で近づけはしないものの、それ以上進もうとしなかった。
「……く……っ」
苦しげな声にはっと前方を見る。
普通なら発動後は術者からは完全に切離されるものだが、ルックは未だロッドを掲げ苦渋の表情を浮かべていた。
恐らくは風の威力が強すぎる為に、制御していないと術が壊れてしまうのだろう。
互いの均衡をとる為に相当に力を捻じ曲げているはずだ。彼にかかる負担は計り知れない。
俺でさえ、吸い取られるような魔力の放出に立っていられない程なのに。
剣を地面に突き刺し、支えにして後ろから見守る。悔しい事にそれ以外できる事はなかった。
ルックから張り詰めた空気がびりびりと伝わる。
長い姿態をうねらせていた水龍はようやく安定したのか起動を変更すると、広がるモンスターの群に突っ込んで行った。地面を舐めるように水龍が這い、透明なその顎で微動だにできずにいたモンスターを飲み込んで行く。
その凄まじい威力に息を飲む。
合体魔法を見るのは実は初めてだったがこれほどのものとは……
呆けた顔で一層されていくモンスターの群を見ていた。
時間にしてみたらほんの数分で水龍は空気に溶けるように消えていった。
だが、その後にモンスターの気配は、跡形も無く残っていなかった。
同時に辺り一帯の樹木まで薙ぎ倒してしまっていたが……
辺りがしん…と静まりかえる中、ふいに、どさり…と音がした。
はっとその方向を見ると、少年の細い身体が蹲るように倒れている。
「…っ…ルック…!!!」
俺はまだふらつく身体を懸命に動かして、彼のもとへ走った。
****** ****** ****** ****** ******
机上で灯るランプの光に部屋内が仄かな暖色に染まっていた。
俺はベッドに深く沈み込み、眠っているルックを見つめる。
森はずれまでようやく辿り付いた時には、辺りはすでに暗くなっていた。抜けたすぐの所に、村があったのは不幸中の幸いだったが……。
足音を立てないようにサイドの椅子に座る。
一応薬師に見てもらったが、疲労の為に休養を欲しているのだろう…と言われた為、静かに寝かせておく。
「……ここは?」
暫くたった後、うとうとしかけていた俺を小さな声が引き戻した。
ルックは腕をベッドについて身体を起こし、不思議そうに辺りを見回す。
「森のはずれの村だよ…大丈夫か?」
「…平気だよ……」
自分が意識を失ってしまった事を思い出し、憮然とした声で呟く。
しっかりした声の調子に、ほ…と息をついた。
「しかし…凄かったな合体魔法…初めて見たけど圧倒された」
取り合えず大丈夫らしい様子に安心して先の出来事を反芻する。
その言葉にルックはこちらを向いて
「……初めて?もしかして水のLV4魔法も初めて?」
眉を寄せて問いかけた。
「?…雷なら使った事あったが…水の高位魔法は…初めてだ」
「……どうりで…」
「ルック?」
納得言った様子で嘆息するルックに怪訝げに視線を合わせた。
「……魔法の構成が甘いと思ったよ。2倍疲れた…」
「あ…すまん……言った方が良かったか?」
「あの状況で言われても引けなかったけどね」
……疲れるのには変わらないし
やれやれ…といった感じで物憂げに髪をかきあげる。
「…悪かったな…負担かけた…でも、お前のおかげで助かったよ…有難う」
「別に…アンタの為じゃないよ」
真摯に見つめて言う礼に素気なく返し、ぱふ…とベッドに倒れてシーツの中に潜り込む。
俺は微笑を崩さぬままにトントン、と布越しに優しく背を叩くと、暖かい飲み物を貰う為に部屋を出ていった……
|