夢の残滓


懐かしい記憶。

目を閉じれば容易に思い出せる…穏やかな日々、妹の笑顔、あいつの…声。

参ったな…俺は、あいつを憎んでいたんじゃなかったか?

軽く頭を振り深い溜息を付くと、俺は月のない暗い空を見上げた。
全体に薄く雲がかかっている。仄かに発光するようなそれはその上に明るい月がある事を窺わせる。
街灯の光も届かないのに、慣れた目で辺りの輪郭が掴めるのはそのせいだろう。

鼠色の雲、目の端に浮かぶのは思わぬ再会を果たした……「あいつ」

生きていた…その事に、こんなにも安堵している自分がいる。
この手で殺したにも関わらず――

手のひらに視線を落とすと、あるはずの無い血の跡が見えるようだ。
その手をぎゅう…と握り締め、もたれていた木の根元にずるずると座り込んだ。

ここはグリンヒル、宿舎の裏にある管理された森。
どうしても寝つけれなくて外に出て、ぶらぶらと風に当たっている。
状況を考えるとこんな事をしている場合ではないのだろうが…

気だるそうに髪をかきあげる。昼間の出来事がちらついて頭から離れない。

(………ザジ…)

確かに後悔はしていた…が、それは、あまりにも感情に任せて動いてしまった事に対してだ。
時も場所も構わず行動してしまった事。それが最悪のタイミングだった事…悔やむのは、それだけだ。

それ以外に何があると言うのか…先に裏切ったのはあいつで、俺はするべき始末をつけただけで……


記憶を辿ろうとする頭を軽く降り、苦笑する。思考を切り替えようとしての気分転換が余計に考え込む事になっているようだ。

…戻るか…

何処にいようと何も変わらないのであれば、寝れなくとも身体を休める事くらいはした方がいい。
そう思い立ち上がろうと僅かに草の生えた地に手をついた時、パキ…と小枝の踏まれる音がした。
俺は咄嗟に周囲に気を配る。こんな時間に人が…?

息を詰めて耳を澄ますと話声が届いた。
左の方から近づいてくる…人数は……

……??気配を感じるのは一人だが、話しているという事は複数なのだろう…
歩みを止めない所を見るとどうやら俺には気づいていないようだが…

俺は気配を消して、樹の影に身を潜めた。
このまま通り過ぎるか気づかずに立ち去ってくれないものかな……

「……が違うじゃないか」

二人は3〜4mくらいの距離で立ち止る。少し奥に入っているこの場所は人目につかない為内緒話でもするにはうってつけなんだろうが…勘弁してくれよ、これじゃあ盗み聞きしてるみたいじゃないか。
一人が声を荒げている。もう一人の声は聞き取れないが…何か言い争っているような…?

「……もういい、アンタとは仕事は出来ん」
「そうですか、それは残念ですね」

―――――ふいに聞こえたもう一人の声に俺は思わず息を飲んだ。
僅かに乱してしまった気を手で口元を抑え必死に整える。

……気づかれなかった…よな?

身を小さくしてそろ〜…っと後方を窺う。話し声は続いている、どうやら…大丈夫らしい。

しかし…どうするか…

先ほどまでとは打って変わって、緊張が身体を占めていた。
出来るなら姿を見せずこのまま立ち去りたいが…不用意に身動きも出来ない、恐らく瞬間に悟られてしまう。

暫くの逡巡。
とにかく身を隠しながら行くしかないと足を踏み出そうとした時、後ろからどさり…と何かが崩れ落ちるような音がした。その意味を察した瞬間、俺は置かれている状況を完全に忘れ、樹の影から身を現してしまっていた。

目に映る光景は予想通りのもので……
すらりと立っている人物の前で、蹲って倒れている男がいる。
何をどうされたのかはわからないがぴくりとも動かない所をみると……

「殺したのか?」
我ながら間抜けな問いだと思うが、聞かずにはいれなかった。
身を屈め男の生死を確かめている青年は、俺の姿を見ても眉一つ動かさず、えぇ、と事も無げに言った。
「それが何か?」
何の感情もない声で続け、こちらを見る。暗がりで輪郭はぼやけ、はっきりと見えるわけじゃない。
でも…その声が、身に纏う雰囲気が俺にその人物の正体を知らしめていた。

かつての親友……ザジ……

「まさか…殺すなんて酷い事を、とか思ってるんじゃないでしょうね?」
ザジは淡々とそう言うと男の衣服で手を拭うような動作をして立ち上がった。
「殺す必要があったのか……?」
押し殺した低い声。この問いが無駄な事だという事も知っているが……
案の定、ザジはく…っと低く嘲笑するように笑う。
「貴方は目の前に現れた敵を切るのに躊躇いますか?」

俺の問いに答えるともなくそう言って、つま先で足元の動かぬ肉の塊を蹴った。
ごろんと角度を変え、隠れていた胸がこちらを向く。

胸に深々と刺さるナイフ。心臓を一突き……即死だっただろう。
争った音や形跡はなかった。一瞬の出来事に自分に何が起こったのかもわからなかったに違いない。


……確かにザジの言う通り、自分の敵として現れたなら俺だって応戦くらいする。
だが…命を何とも思わないようなこんなやり方は…
痛ましげに眉を顰める俺を、ザジは何の感情も窺えない無機質な目で見据えていた。

しかし……と呟き、ザジはポケットに手を入れてゆっくりと一歩踏み出す。
「貴方も馬鹿な人ですね、あのまま逃げていれば見逃したものを」
呆れた溜息とともに吐き出される言葉。口元には常に笑みが浮かんでいたが、その瞳は暗く冷たい。
「気づいてたのか」
「えぇ、初めから」
……貴方だという事も…そう付け加えて人差し指で眼鏡をくっと押し上げる。
見慣れたその癖……昔から変わらないな…


……何だ?さっきから。俺はどうしてこんなに…


暗がりで変貌したその姿が良く見えないせいなのか。それとも…未だ、混乱しているだけなのか。


昔の映像と重なる…


「どうしました?」
近づいた声にはっと顔を上げる。何時の間にか目の前まで歩いて来ていたザジの視線が飛び込んで来た。
どうかしてる、こいつの前で……

「……隙だらけですよ…貴方。これなら私が手配するまでもなく消えてくれそうですねぇ……?」
すっと上げられた片腕、俺の首に手が絡み付く。緩く締めるその動きを、止めるわけでもなく目で追っていた。
「このまま……楽にして差し上げましょうか…?」
「自分で手を下せないとか言ってなかったか?」
言葉とは裏腹にザジの手は力を込めようとはされていない。俺は昼の言葉を思い出し、意図を探ろうとしてかまを掛けてみる。
「……後で操作などいくらでも出来ますよ、しかし……」

そこで言葉を切り、ふと俺の後方へ視線を泳がせた。

「……?」
「……あれは、昼間貴方に絡んでいた女生徒では……?」

急に呟かれた言葉。俺はその無視出来ない内容に驚いて
「……え?」
つい、後ろに注意を逸らしてしまった。その瞬間、伸びた手に肩を掴まれ思い切り引かれる。
「……う、わ…っ!」
隙をつかれ、思わぬ力で引かれて踏み止まる事も出来ずにバランスを崩す。
その反動を利用してくるりと身体を翻すと、地面に押さえつけるように体重を掛けられ、後ろ手に腕を捩じ上げられた。

「……ったた」
押さえられぎりぎりと軋む関節の痛みに顔が歪む。
あんな単純な誘導に引っ掛かってしまった自分が情けない。


「……迂闊な人ですね」
冷笑交じりの揶揄いに、全くだ……と自分で肯定して溜息を付いた。
「で、どうするんだい?このまま一思いに殺っちまうか?」
まるで他人事のように軽く嘯く。この形成不利な状況で俺も良く言うもんだ。
強がりに聞こえるらしく(実際そうだが)くすりと頭上から余裕で笑う声が聞える。
くっそ……どうにかならないものか。
解こうと力を入れてみるが、不自由な体勢の上動かぬポイントを上手く押さえられている。とても体勢を戻すのは無理そうだ。

「そんなに急かさなくてもすぐに逝かれる事になりますから大丈夫ですよ。……そうですねぇ…」

冥土への手向けに貴方の望みを叶えてあげましょうか……?
くすくすと楽しげな声。自分の有利を核心して……遊んでやがる。
「……サービスが良いんだな。だったらこの、不本意な状況を開放して欲しいもんだね」
「それは、本当の望みを叶えてからにしますよ」

「本当の……?」
含みのある言葉に問い返す。俺の望みがわかるって言うのか…俺にもわからないっていうのに。


「そう……思い出してごらん?君は何を願っていたんだい……?」


――― ナッシュ


急に変えられた声色。昔を彷彿とさせる口調で名を呼ばれ…


  体中の血が逆流する感覚に襲われた。


指先が震える。わかっているのに…沸き立つ感情を押さえられない。
窺えるその表情は、怒っているような、それでいて泣きそうな…迷子の子供のようなもので。

「ナッシュ……?」
再度呼ばれ、後ろから首筋に口付けられる。行為を思わせる動きに身が竦んだ。

「……やめろ」
振り払う為に出したその言葉は、拒否とも思えないほど弱い。
殊更に優しく、穏やかな響きに…翻弄される。かつての想いが、封印したはずの……

「やめ…ろ…っこれが俺の望みだって言うのか!?」
流されそうになる自分を止めるように頭を左右に振り、叫んだ。
「違うのかい?ナッシュ……」
「何を、言ってるんだ。違うに決まってる……俺は、俺は……」
離れたいのに、体重を掛けられて身動きが出来ない…いや、心の奥で甘んじていたのかも知れない、この状況に。
明確な答えを用意できずに唇を噛み締める。どうして撥ね付けられないのか…撥ね付けようとしない、のか。


しっかりしろ……違うだろう?かつてのあの感情は、気持ちは、想いは……捨てたんだ。
あの日、自分の手で切り捨てた。手に残る未だ消えない感触がそれを思い出させる。
自分で殺した、あいつを。その想いを。


  ……コノ手デ殺シタ


「素直になりなさい。君の本当の気持ちはどれ……?」
懐かしい……その声が、響きが身体に浸透していく。

覚える錯覚に身を委ねてしまいそうだった。
偽りだと知っていながら、その甘い誘惑に乗ってしまいたい自分がいる。

知っている……自分の心は。変わってないんだ…今も…尚……

あの日あいつを切ったのは、本当に両親の仇だったから……?
騙されていたから……裏切られたから……?
激情に身を任せてしまったのは何故……?


全てを偽っていた事に?……いいや…違う、その事実に対して
……そう、自分に対して


  「俺」 を 騙していた 事 が 許せなかった


全て終わった後に爆発した感情。
審議が終わるまで収容された、組織の地下牢で……俺は思い知った。
止まらない涙に、震える身体を抱きしめ。
気づいていなかった、気づきたくもなかった。
狂おしいほどのザジへの想いを……


「……思い出したかい…?自分の気持ちを」
俺の心の動きを嘲笑うかのように、更に煽る……優しく、甘く。
衣服に差し込まれる手を俺の身体は避けようともしてくれなかった。

「………っ」
肌を滑る手に息を飲む。
今なら逃げられる。力はもう殆ど入っていない、拘束されていた腕は開放されて、手は自分の首筋を撫でているだけで。でも……

「そう……それで良いんだよ…叶えてあげるから」
「………ぁ…」
伏せられていた身体が返されて首筋に唇が寄る。
きつく吸われ、その痕を舐められて、促される身体は素直に反応した。
しがみ付く手に力が篭る。


……このまま、委ねて良いのかな

ぼうっとした頭で覆い被さる人物を見上げる。すると視線を遮るように瞳に手を置かれ

……目を瞑っておいで

と、耳朶を擽る吐息と共に囁かれた。
逆らう思考はすでになく、言われるまま瞳を閉じる。
閉ざされた視界に、触れられる感覚が増長するように感じられた。

肌蹴られる上着とそこに降りるキス。
微かに触れる感覚はゆっくりとしたもので、もどかしくて……
小さく身動ぎすると抗議でもしているように思えたのか、小さな笑いが降りた。
するりと下に降り滑り込む手が、微妙な変化を顕わしているソレに触れる。

「………ぅ…ん……っ…」
直接的な感触に首が仰け反り、掠れた声が上がる。情を孕んだ声に自ら煽られて自身が熱を帯び頭を擡げた。
隠しようのない欲の証が…包み込む手の中で脈打つ。

追い上げられる単調な動き。暗闇に溶ける思考に快感が内に溜まる。
何とか吐き出そうと懸命に息を吐いても快感がそれに勝り、甘い声を押さえられなかった。

愛撫の合間に少しずつ擦り下げられる下衣。火照った身体が外気に触れ、ぞくりと走る感覚に小刻みに身体を震わせた。
与えられる甘い快感に溺れ、翻弄されていた。その両足を緩く広げられて隠れた秘部が晒されても、羞恥を感じる余裕もなかった。でも……

その奥にふいに触れたモノがあまりに熱かったから、思わず閉じていた瞳を開けてしまったんだ。
見てはいけなかったのに、瞑っていなさいとそう…言われたのに。


「―――――っ!?」


……その瞬間に合わされた視線に息、を呑んだ。

冷たい、色。氷のような冷眼……いっそ憎悪とでも呼べるその眼差しが自分を射抜いていた。
暖かく触れる手、微かな吐息からは微塵も想像できなかった…鋭く無機質な視線。

体中の血が凍りつく。虚ろだった思考が冷水を浴びたかのように一気に冷めた。
本能で悟る危険信号。咄嗟に身体が引こうと動く前に、がっちりと腰を押さえられる。

逸らす事の出来ない瞳が一瞬和らぎ……
……その熱い塊が慣らされてもいない、固く閉じた入口に容赦なく埋め込まれた。


「……!?…あ、ぁ…っっ……う…あぁぁぁっ……っ!!!!」


無理矢理に突き進む身体。引き裂かれる激痛と圧迫感に引き攣った絶叫が上がる。
納められていく凶器に身体が軋む。味わった事のない異物感に胃液が逆流しそうだ。
苦しくて…上手く息もつげずに喉を引くつかせ、見開いた瞳からは止め処なく涙が溢れ出た。


「……い…っ、や…やめ……ぁ…っ…く…っ!!」


全身で拒否を訴えていた。
進入者を止めようと強張る入り口が抵抗するが、熱い塊は無造作に身体を行き来する。
揺すられ、結合部が擦られる度に……悲鳴にも似た、声が発せられた。
くちゅくちゅと……下から聞こえる音は自分の体液と血液が交じり合う音。
紛れも無い…暴力でしかない。痛みしか与えられない行為……それな…のに……

「……浅ましいものですね」

俺を犯す、そいつが冷たく吐き捨てる。
何を指しているのか朦朧とした頭でもわかっていた。

「……あ…ぅ……んん…っ」

く……っと突かれ、揺すられる腰に……信じられない、苦痛だけでは有り得ない嬌声が漏れる…こと。

「人は……卑しくも苦痛の時が続くとその中に快楽を見出すようになるそうですよ」
嘲りの言葉、俺の中で暴れるものは溶けそうな程に熱いというのに……平然と息も乱さない。
……これもその事例の1つでしょうかねぇ…?……くく、と喉で笑い甘さを含みだす喘ぎに冷笑する。

熱い凶器を咥え込んだ部分からは未だ出血が続き、緩む気配も無く恐らくは苦渋しか覚えていないであろうに……2人の間で揺れる俺の中心は、しっかりと欲情の証を溢れ出していた。

「………く…ぅ…っあ…ぁ…っ!………ちが…っ…」

溢れる蜜を掬われ、共に握りこまれると一層高く、甘い声が響く。
灼熱の痛みと信じがたい快感。相反する二つの感覚に頭が狂いそうだった。

「何が違うんですか?……こんなにも顕著な反応をしておいて」

触れられる度に身体が跳ねる事実に、嘲笑し更に深く身体を進め、穿つ。
身体が熱い……どうしようもなく熱くて……考えが形にならずに焼ける。
それでも言葉の意味を何とか受け止めて否定に頭を激しく振った。

「うあ……っ…ぅん……ちが……ぁ…違うん……だ…っ」

認めるわけにはいかなくて必死に言葉を紡ぐ。
言うような唯の逃げじゃないんだ。理由がある…んだ……
そんな……のは関係なくて……与えられる者が……

「お前……だか…ら」

浸透する灼熱の痛みと蕩けるような快楽に意識が霞む。


  ――――お前だから、なんだよ……


ちゃんと伝える事が出来ただろうか……

閉じていく視界の中、自分の言葉のせいなのかどうかわからないが
困惑したようなあいつの顔、懐かしくて俺は……


……くす…と笑みを浮かべた……






瞼に明るく射す、朝日で目が覚める。
ぼんやりと映るものが見覚えのある天井に形を成した時、それが自分が泊まっていた宿屋だと気づいた。

…………夢…?

朧げに残る記憶が現実なのかどうかすぐにはわからなかった。
確かめる為に身を動かしてみる。途端に走る、痛み。
身体の奥で疼く鈍いそれが……全てを物語っていた。


残ったのは……痛み、か……


自嘲気味に溜息をつくと……現実へと戻る為に、軋む身体を起こした。

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