その建物には冷気が満ちていた。
外は、少し歩いたら汗ばむくらいの気温だというのに、中に足を踏み入れた時から肌寒さを感じるようになった。
タイルが整然と敷き詰められた廊下も、その冷たさを物語るように光を反射している。
しぃ…ん、と切れるような静寂は、寒さに拍車をかけているようだ。
その静寂が、遠くから響く靴音で壊された。
一定間隔の足音は、周りの静けさゆえに辺りの壁に反響している。
上着を持ってくれば良かったな…
ゆっくりと歩みを進めていたルックは自分の腕をさすり、溜息をついた。
彼には外との気温差の理由がわかっていた。
遺跡に足を踏み入れた瞬間から感じる、特有の魔力…此処にはそれが満ちているから。
そしてその魔力を封じるように、建物全体に結界があるから。
だからこの中だけは空気が違うのだ。
ここは古い遺跡。
その入口は森林の奥深く隠れるようにあり、常人ではまず見つけられないだろう。
誰からも忘れられたような古代の遺跡を、彼の師であるレックナートからの命で訪れていた。
ここ最近、この辺りに魔力が流出しているのを感じ取ったと言う。
遠見でそれを知った彼女は、ルックに調査を命じた。そして対処をせよ、と。
相変わらずな任務に溜息をつきながら指し示す場所へ来てみると、原因らしき遺跡があったわけで。
原因究明の為に当然中に入ってみたのだが…なるほど、魔力の源はここで間違いはないらしい。
足を踏み入れた瞬間に襲う、強い圧力。
自分とはどうやら相性が悪いらしいそれに晒された身体がだるく、重かった。寒気も倍増しているようである。
もっとも、この邪気にも似たものと、相性が合う方がおかしいのだが。
…気分が悪い。
彼は嫌そうに眉を顰めた。
魔力が濃い方角へとどんどん進んでいるのだから当たり前だ。
しかしこのまま帰っても原因は何一つわからない。推測はいくらでも出来るが…
いい加減吐き気すら覚えて来た頃、その廊下はある部屋へと辿り着いた。
見るからに重そうな扉を躊躇いも無く押し開く。
不快感はあるが恐怖は無かった。彼には対処し得うる自信があったから。
だだっ広い部屋の真ん中に、腰辺りの高さの台がある。
それを中心に床に描かれる魔法陣は、知るものが見れば一目で結界だとわかった。
お約束どおりの古来からの形に憮然とした溜息が漏れる。
恐らくは台の上に丁重に鎮座している、水晶球らしきものに亀裂でも入ったか…もしくは…
確かめる為にルックは中心へと歩んで行く。
濃厚な魔力に隠れた「それ」の存在に気づかずに―――
ルックは魔法陣に入らない位置まで台に近づいた。
すると、入口からは見えない角度に人間の――骨…らしきものが転がっていた。
封印が弱まったのはこの人物の干渉によるものだろうか。
ふとした事で遺跡を見つけたこの人物が水晶球に触れ、その反動が原因なのか、どうなのか。
最近の魔力の流出と、この人骨の風化具合に時間の差があるように思えたが、詳しく調査しなおすしかないだろう。
魔法陣の形を脳裏に刻み付けて、一旦戻ろうと踵を返す。
まずは封じられているものを文献から調べる必要がある、幸いにも封印は弱まっただけで解けてはいないようだ。
この形式の封印で解けていたならば、まず水晶球が粉々に壊れているはずだから。
魔法陣の形から恐らく数百年前のものだろうか…だとすれば書庫のあの辺り…
脳裏に慣れ親しんだ本棚の光景を思い描きながらその部屋を出ようと扉に手をかけた時
「……?」
急に辺りの空気が歪む。
なんだ…?何か…
巧みに隠れ散らされていたモノが動きを見せた。力が急激に辺りに収束する。
それが自分を中心に行われている事を悟ったと同時に、反発しようと自らの魔力を高める。
行動は迅速だった。だが、気づくのが少し遅かった。
先程から晒された不快感に、感覚が鈍っていたのが原因だろう。
………、間に合わない…っ…!?
目に見えるほどに濃くなった魔力が自分に襲い来る。
禍々しい黒い影。それに包まれる瞬間、自分を庇うように腕で顔を覆った。
そして
記憶はそこで途切れた……
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