会わなければと思った所で、簡単にそれが叶う相手ではなかった。
連絡先もわからないし、こちらも教えていない。
並盛に居れば自分がわからない事はないが、相手は遥か彼方異国の地だ。
自分の範囲の小さい事を思い知る。
唯一の接点であるリボーンに頼めば何とかなるかも知れないが。
自分から言い出したくなくて出来ずに居た。
それに何て言えば良いのかわからないのだ。
連絡を取りたいにしろ連れて来いにしろ、まるで興味を持っているようじゃないか。
自分はただ、ケリをつけたいだけなのだ。ついでに戦えれば、とも思っては居たが。
しかし何も行動をしなければ変わるものではない。
あれから何日が過ぎたかわからないが未だに訪れない再会に苛々は募るばかりだ。
そんな日々を過ごしていた時、またも唐突にその時は訪れた。
前触れもなく現れた人物に、恭弥の思考は固まる。
「よう、久しぶりだな。恭弥」
定期的な見回りを終えた後、恭弥が息抜きに屋上に行くと。
まるで来るのがわかっていたようにそこに居た人物はそう言って片手を上げた。
何週間か前と変わらない姿の彼…ディーノは、何事もなかったかのように笑っていて。
それを見た時、恭弥の心がざわつく。
自分がこれだけ囚われていたというのに、まるで普段と変わらない様子に腹が立っていた。
屋上に足を踏み入れるやいなや、恭弥はトンファーを装備すると思い切り打ち込んでいた。
間髪居れずにディーノは愛鞭を構えてそれを受け止める。端には彼の部下が居て、機敏な動きの理由がわかった。
ぎりぎりとトンファーが当てられた鞭が軋む。
瞬きもせずに交じり合う視線に、ぞくり…と背筋に走る何かを感じて、恭弥はすぐに武器を引いて飛び退いた。
それにはディーノは怪訝そうな顔をするが、闘気の消えない相手に鞭を構えたまま対峙する。
視線が混じり合う。
この緊張感は、ディーノが去るまで暫く味わっていた心地良さだ。
(やっぱり、もう一度戦いたかっただけだろうか)
苛々をぶつけるかのように、恭弥は再び踏み込んで実戦さながらの気迫で何度も打ち付ける。
その度にディーノは攻撃をかわし、自らも鞭を振るって。
暫くの時が過ぎた。
両者の息が切れ始めた頃、ディーノは自然と距離を取って。絶妙の間合いで戦いを終了する。
一瞬で気を散らす彼に恭弥もまた戦闘意欲が薄れて行く。
このタイミングは連日の戦闘で慣らされてしまったもの。今だ続けたい欲求を、さらりとかわされてしまう。
背後で気配が動くのを悟ると、控えていた部下が去っていく音を聞いた。
それからディーノは近づいて来て
「荒れてるって聞いたけど、本当みたいだな」
苦笑混じりにそう言って荒い呼吸をしている恭弥の髪を撫でた。
この男と戦えば、この苛つきは解消されると思っていた。
しかし今しがたの戦いでも燻る何かが残っていた。
それなのに。
髪に彼の手の感触を感じた瞬間、ざわついていた気持ちが治まるのは何故だろうか。
不可解さに眉を寄せて見上げると、ディーノは首を傾げてから「あぁ」と頷く。
「リボーンがな、何とかしろって言って来てさ」
先の言葉への疑問と思ったのか聞いてないのにそう答えて、ディーノは恭弥の足元に腰を降ろした。
なるほど…彼の根回しなら、この男が動くのもわかる。最初に来た時だってそうだったのだから。
ディーノは立ったままの恭弥の腕を引いて隣に座らせようとした。
すると意外にも素直に腰を降ろす。
それに瞬きをしながらも話を出来る状態だと察すると、ディーノは言葉を続けた。
「…急に戦う相手が居なくなって、むしゃくしゃしたのか?」
久々に感じる気配に何故か落ち着きを感じる。
理由もわからないまま黙っていると、隣からそんな問いをされた。
今まで荒れていた理由を探っているのだろう。確かに、それも理由だとは思っていたが…
先ほど戦ってみて違う事は悟っていた。
だから恭弥はもう一つの理由を思い出して、じろりと横目で睨む。
「あなた…、去り際に何を言ったのか覚えてないの?」
あくまで普通に振舞う彼に、自分がされた事が幻だったのではないかとさえ思える。
確認したくてそう聞くと、ディーノは驚いた顔をして目を見開いた。
「まさか、それが原因なのか?」
常には伏せがちの蜂蜜色の瞳に大きく凝視されて、恭弥は気まずそうに視線を反らした。
自分が荒れていた原因としてならば、ディーノが先に問いた理由の方が合っている。
それなのに聞いてしまった事で、違う事を悟られた。
更に顔を顰める恭弥を、ディーノは黙ってこちらを見ている。
何も言わない相手に居心地が悪い。視線を感じて、何故だかその場から去りたくなった。
(そうだ、言わないと…)
長く感じる数秒を経て、恭弥は会ったら言おうと思っていた事を思い出す。
自分のもやもやを解消する為にキリを付けたかったのだ。
あえてディーノに認識させてしまったが、今なら察しているから断る事が出来る。
そう思い立って恭弥は反らしていた視線を戻して彼を見て。
息を飲んだ。
口を噤んだまま、じ…っと見つめる眼差しが深く己に突き刺さってくる。
開きかけた言葉が止まってしまっていた。
射すくめられたように動けなくて、身体が何かで縛られたみたいだ。
(そんな瞳で、見ないで)
何度となく重なった、慣れているはずの視線が。まるで違う色に見える。
こんなに深く綺麗な色をしていただろうか。
覚えのあるものは落ち着いた色の琥珀だったはずなのに。光の加減で金にも見える。
絡まりあった視線が徐々に近づいて来ても、恭弥は避ける事ができなくて。
再び、あの感触が唇に触れた。
鼓動が、揺れる。
お互いに見つめたままキスが離れると、ディーノは静かに「好きだ」と呟いた。
鼓動が、揺れる。
煩いくらいに脈が早まっていた。
揺さ振られる鼓動が高まるのを押さえる間もなく、ディーノは続けて「好きだ」と、再度言った。
すると今度は、心臓に何かが刺さったような痛みを覚えた。
苦しさはまるで毒でも飲んだかのようだ。
しかしそれは、苦しさだけの毒ではない気がした。どこか甘くて…癖になりそうな痛み。
ディーノは何度も「好きだ」と繰り返してきた。
その度に身体を駆け巡る甘い痛みに恭弥は耐え切れなくて視線を逸らし、目を閉じた。
その瞬間、ディーノの気配が近づいて、身体が包み込まれていた。
初めて感じる体温と、鼻腔を擽る甘い香りにくらくらする。
しかも痛みは広がるばかりだ。
「まさか、お前がちゃんと受け止めてくれているとは思わなかった。…好きだよ、恭弥…。本気なんだ」
恭弥の動揺を感じているのか、ディーノは優しくそう言うとぎゅう…っと抱き締める力を強くした。
腕の中に閉じ込められて縛られているみたいで、嫌なのに跳ね除ける事ができない。
抱き締める腕は強いけれど、身動き取れないほどじゃない。
思い切り突き飛ばせば解かれる拘束なのに、何故自分は出来ないのか。
「…どうして…?」
やっとの事で紡いだ言葉は、そんな短いものだった。
拒絶する言葉は言えなかった。すでに頭からは消えていたのだ。
腕の中から聞こえたくぐもった問いに、ディーノは困ったような表情を浮かべた。
それから再度黒髪を撫でて答える。
「好きになるのに理由なんてねぇよ。いつの間にか恭弥に惹かれてた、それじゃ駄目か?」
「…理解出来ない。僕はそんな思いを持った事はない」
「――そうだろうな、だから…本当は言うつもりはなかったんだが」
そこまで聞いて恭弥は顔を上げて眉間に皺を寄せた。
言われなければ、自分だってこんなに考える事はなかっただろうに。
言うだけ言って、答えを求めないままで去っていくなんて…、なんて性質が悪いんだろう。
相手の言葉を求めない、一見謙虚にも思える行為だが。
僕にとってみれば…、罠にかけられたようなものだ。
見返りを求めないようなふりをして僕の心に棘を刺していった。
胸を貫く痛みに気づかないまま苛立ちが募って…、嫌でも意識させられた。
そして…、気づいてしまったのだ。
「恭弥は…、多分はっきりしたかったんだよな、ごめん。…だから、ちゃんと断ってくれよ。お前の苛々を無くす為に、さ」
望む言葉ではないのだろう。あえて感情を殺して淡々と言うディーノの言葉が、全身を苛んでいく。
そんな風に言っておきながら、抱き締める手を離さないあなたは、狡いと思う。
痛い、痛い…。抱き締められた全身が軋んで悲鳴をあげているようだ。
でも何故だろう、引き裂かれるような痛みの中に、甘くて心地よくて。突き放せない何かがあるのだ。
まるで麻薬に溺れているようだ。
気づいたのは…自分の想い。
狂おしいくらいに苛立っていた心が、今は違う痛みに変わっている。
痛いのに心地良くて甘い、この存在を離したくない…。
あぁ…、足りなかったのは、これだったんだ。
離れて数日、どうしようもなく感じた空虚は。
彼が、ディーノが…居なかったから…。
きっと捕らわれていたのは、告げられる前からだ。
「…はっきり、しようか…」
僕が小さく呟くと、頭上で息が詰まる音がした。
触れている鼓動が早まるのがわかる。
見上げると、僅かに揺らいでいる視線と重なった。
でもまっすぐ見る瞳を逸らそうとはしない。どんな言葉でも覚悟している、そんな感じだ。
「もう一度、あなたの想いを言って」
そして、僕の心にトドメを刺してくれないか。
もっと深く胸の傷を抉って…永遠に消えない痕がついたなら。
僕も誓ってあげるから。
ディーノは恭弥の要望に切なげな表情を浮かべた。
断られる為に、同じ事を告げろと言われているのだ。そう思っているから。
少しくらい痛みを感じれば良い。僕が感じたような痛みを。
それくらい良いでしょう?…だって、その後は…あなたに堕ちてあげるんだから。
さぁ…、僕を…あなたの心で。捕らえて…。
「オレは…お前が…、恭弥が好きだよ…」
痛みを伴った視線で見つめられて、全身に痺れが走っていった。
自分だけを見る金色の瞳に眩暈を覚える。
自覚したなら、もう…迷う事はない。
「…僕も、あなたが好きだよ」
言葉にしてこれほど、しっくりくる想いはないと思った。
彼は僕の言葉に大きく目を見開く。当然だろう、断られると思ったのだろうから。
信じられないと言った風に、見つめてくる琥珀に近づいて、そっと唇を重ねた。
するとようやく理解できたのか、ディーノは溢れる想いのまま思いきり僕を抱き締めた。
腕の中に閉じ込めるように包みこむ暖かさに、僕は自然と表情が緩む。
僕は何者にも捕らわれる事はないけれど。
この腕の中で飛び回る自由があるのなら、あなたという籠に捕らわれてもいい。
身体中に満ちる甘い毒を与えてくれるなら、ずっと逃げないで居てあげる。
視界を塞ぐ暖かい闇に、僕はそっと目を閉じた。
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