・馬鹿じゃないの


誕生日なんて、気にした事もなかったし、その日が来た事を忘れる時もあった。
だけど、あなたが来るようになって。
あぁ…そうか、今年もそんな時期かと。思い出すようになった。
決まって前日にキザな花束を持って現れて、そして次の日まで滞在して行くのだ。
何度も祝いの言葉を繰り返されれば、嫌でも脳裏に染み付くと言うもの。

しかも日本では前日も当日も祭日で休みだから。
学校に居ても他の邪魔が入る事もなく。当日にそのままホテルで過ごしても問題はなく。
結果、何となく2人きりで過ごすようになっていた。
それも…これで三回目、か…。

「恭弥、何か飲むか?」
「……緑茶」
「ペットボトルしかねーけど」
「それでいい」

冷蔵庫を開けているディーノにそう答えると、彼は緑のペットボトルを取り出してこちらに放り投げた。
視線も向けずに危なげなくそれを受け止め、指先で蓋を開けて一口飲む。
冷たい渋みのある感触が喉を通っていき、ふう…と息をついた。

今年もディーノの泊まっているホテルで朝を向かえ、のんびりとソファで座って。
こんな風に時を過ごすとは思わなかった、と。恭弥は今までの事を思い返す。

3年も続いたこの関係も予想外だったが。
それよりも、彼が祝いに来る事が自然だと思っている、自分の変化の方が驚きだ。
別段、特別だと思った事もなかったのに。その為に彼が会いに来るのなら。

(誕生日も、悪くない…なんて)

互いの誕生日を交互に過ごした事の慣れからか。考えも変わるものだな…なんて。
恭弥は、ふ…と、小さく笑みを浮かべる。

「何だ、機嫌が良さそうだな?」

自分はミネラルウォーターのボトルを手に、ディーノは恭弥の隣に座って顔を除きこんでくる。
薄く浮かんだ笑みをそのままに、視線を彼に向けると。
同じように…いや、それ以上に笑顔を浮かべて、手を伸ばしてきた。

「気のせいじゃない?」
「んな事ねーって。こんな可愛いー顔しちゃって」
「――――……あのね」

頬に手を沿え、撫でるディーノの言葉に。恭弥は一瞬で呆れた表情に変わる。
「あぁ!勿体無い…そのまま笑ってりゃ可愛いのに」そんな風に残念そうに言って。
両頬を手で挟んだディーノは、そのまま軽く口付けを合わせてきた。
誰の所為だと思ってるんだ…、と心中で呟いた言葉は唇で止められる。

そういう言葉を好ましく思ってない事を知っているはずなのに。
懲りずにディーノはしゃあしゃあと口にする。
わざとなのか、それともつい口にしてしまうのか。
性格からして後者だろうが…それでも気に入らない恭弥は、がり…と、角度を変えて合わせる唇を噛んだ。

「…ってー!…おま、傷になるようなやり方は止めろってあれほど…」
「あなたも。僕が嫌がるって知ってるよね」
「――…なんだよ、誉め言葉じゃねーかー…」

一応、どれの事に対して言ってるかは自覚しているらしい。
口を尖らせて膨れるディーノに、盛大に溜息をついた。
同じだけこの人も年を取っているはずだけれど。全く当初から変わっていないように見える。

成長期の自分とは違って、外見もさほど変わらないし。
このまま行けばいつか追いつけるんじゃないかと。そんな錯覚をしてしまいそうだが。
どれだけ行っても、差が埋まる事なんてないのだ。

「そう言えば…、また何もあげられなかったよなぁ」
「……何の事?」
「プレゼント。お前、欲しい物言わねーからさ」
「毎回、大きな花束貰ってるけど」
「あれは、挨拶みたいなもんだろー?そーじゃなくて、何か形に残るような」
「買って与えられる物に興味は無いから」
「……って言うしなぁ。だから、買ってもこれねーし」

ぶつぶつと言いながら、机に置いたペットボトルを取り、一気に半分程を飲み干す。
ぷは!…と息をつく様子を横目で見て。恭弥は「欲しいものはあるけどね」と小さく呟いた。

小さな声だったが、耳聡く聞き逃さなかったディーノは。
「ホントか?何だ?」と詰め寄ってきて。その勢いに、恭弥は顔を顰めた。

「言ってもあなたには無理だから」
「えー?自慢じゃねーけど、大抵のものは用意できるんだぜー?オレ」

すげなくそう言うと、心外だ…とばかりにディーノは胸を張る。
知ってるよそんな事。あなたが本気になれば、大抵のものは手に入れられるだろう。
それくらいの力をあなたが持っている事は重々承知している。

「……それでも、無理だね。あなたには」
「何だよ、言うだけ言ってみろって」
「…………」

食い下がるディーノに、視線を落とした恭弥は、おもむろに立ち上がって。
壁にかけてあった自分の上着の中から小さな瓶を取り出した。
怪訝そうに動向を目で追って、手に持って来たものに首を傾げる。

「きょーや?」
「そんなに聞きたいなら、僕が一番欲しいもの、教えてあげようか」

元の場所に腰を降ろして隣に座った恭弥は、不思議そうに見つめているディーノの手を取り。
瓶の蓋を回して中の物を手の平に落とした。

ころころ…と転がり出たカプセルは、一見して何かの薬のように見える。
瓶のラベルは恭弥の手に隠れていて何かはわからない。
2つディーノの手に乗せた後、蓋を閉めてズボンのポケットにしまう。

不思議そうにじっと、オレンジと白のツートンカラーのカプセルを見つめて。
それからディーノは視線を上げた。何だ?と、目を瞬かせて。

その視線に恭弥は、にやり…と、再び薄く笑みを浮かべる。
しかし今度は先ほどまでの柔らかなものとは違っていた。

「これ…、記憶がなくなる薬なんだ」

冗談のような言葉が、すらすらと口から出てくる。
「は?」と一層目を大きく見開いたディーノは、「まさか、冗談だろ?」と続けて微苦笑した。

恭弥は、それの回答は曖昧に濁して。
カプセルを包み込むように、ディーノの手の平を握らせた。

「…さぁ、どうだろうね。…これを、飲める?」
「……本気か?」
「僕は冗談は嫌いだよ」

我ながら良く言う…と、思いながらも。
困ったようにこちらを見つめるディーノに、真正面から視線を合わせた。
笑みを消した自分に戸惑っているのがわかる。
恐らくは本当だとは思っていないだろう。しかし、逡巡している事が伺えた。

当然だ。ディーノの立場を考えれば、どんな小さな可能性だって無視する事はできない。
得体の知れないものを体内に入れるような馬鹿な真似はできないはずだ。

恭弥は手を離して、ディーノをじっと見つめていた。
どうせそのうち肩を竦めて。冗談だよな?…とでも言って誤魔化すのだろう。
そんな事を予想していたら。

握った手を解いて手の平の薬を凝視していたディーノは。
おもむろにそれを、口に持っていくと。

「……………、ディーノ…!」

思わず慌てた声を出した恭弥に構わず口に含んで。ペットボトルに残っていた水で流し込んだ。
ごくん…と、喉を鳴らして、飲み込んだ事がわかる。

「――――」
「……お前が言った事なのに、驚いた顔してんなよ?」
「僕は適当に誤魔化して、スルーすると思っていたよ」
「何だ、やっぱり嘘だったのか?」

そこで肩の力を抜いて、ほ…っとしたような顔を見せた彼に。
少なからず、本気の部分もあった事が伺えた。
それなのに飲んだのだ。この人は……。

「……本気にしていないと思ったけど」
「そうだな。半々…くらいだ。麻薬の一種にそーゆうのもあるし、お前だったら用意できるかも。とは思った」
「だったら何故?記憶がなくなったらあなたの群れが困るだろう。…だから躊躇したんでしょ?」
「…あいつらの事も考えたけど。それ以上に迷ったのは…お前の事だよ」

身体の力が抜けたのか、深くソファに沈み込んだディーノが溜息混じりに言う。
ソファの背に頭を乗せて目を閉じたディーノは。口元に笑みを浮かべたまま続けた。

「恭弥を好きな事まで、忘れるのは嫌だなって思ってさ…」
「……」
「でもお前は目の前に要るわけだろ?だったら、最初に覚える事はお前の事だなって。…だったら、良いか…って。そう思って」
「――――馬鹿じゃないの」

別に拒否したって構わなかった。こんなのただの戯れだ。
思いついたから言ってみただけだったのに。どうしてこの人は、こうなんだろうか。
どうして…、心の底で望んでいる事を。簡単に暴いてしまうのだろう。

確かに本当に記憶がなくなれば。僕が欲しいものは手に入るかも知れない。
僕だけしか見ないあなたを手に入れられる。
だけど。そんなもの、まやかしでしかないのだ。

それなのに今、僕は満たされているのを感じていた。それで思い知らされるのだ。
本当に欲しかったものは、僕に全てを委ねられるあなたの想い。
確めるような事をしたけれど。僕は気付いていたのかも知れない。
それをすでに、手に入れているって、事を。

「自分で仕掛けておいて、ひでぇな。……少し嬉しかったんだぜ、オレ」
「……何、言って」
「だってお前の欲しいものって。お前だけしか知らないオレだろ?愛されてるなーって、さ」
「馬鹿じゃないの」

今度は本気で呆れたようにそう言って、恭弥は、緩く笑っている顔を、ごん…と拳で殴った。

「いってー!!!」

大袈裟に打たれた頭を押さえるけど、それほど痛くないはずだ。
あなたの行動に免じて手加減してあげたんだからね。

机に放置されていた、緑茶のボトルを手に取って、再び柔らかい笑みを浮かべた恭弥を。
ディーノもまた、嬉しそうに眺めていた。
どうやら機嫌が良いのは続いているらしい。

「そーいえば、結局。何の薬だよ、あれ」
「…ただの胃薬だよ」
「何だ?お前、腹でも壊してるのか??」
「誕生日の度に、嫌になるくらい大量の食事を用意するからね、あなたは。それの予防薬」

お茶で喉を潤して、濡れた唇を舌で舐めた恭弥は。ポケットに隠した瓶を出してディーノに投げ付ける。
慌てて受け止めてそのラベルを見ると、確かに胃痛に効く様な内容が書いてあった。

「…今日の食事は、控え目に注文し直しとく」
「そうして」

思い当る事があるのだろう、静かな声に短くそう言うと。
引きつった顔に手を伸ばして。恭弥は顔を寄せて、への字になっている唇を舐める。

「…デザートが食べれるくらいに、ね」

ちゅ…、と軽くキスをして笑う恭弥に。デザートが何を意味するのか思い当って。
ディーノは少しだけ、頬が熱くなるのを感じていた。



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2008.05.10