・大人になった祝い
リリリン、リリリン、と。
仕事用デスクの電話が聞きなれた音で鳴っている。
自分専用の回線が鳴るのは、あまり頻繁な事じゃない。
恐らくは頼んでいたあの件だろうと。
離れて書類を読んでいたディーノは慌てて机に向い、電話に出る。
「Pronto?」
そう言って電話口に出たディーノは、向こうから聞こえる声にやっぱりなと。
自分の予想通りだった事に口元を綻ばせるが。
しかし、その表情はすぐに曇っていった。期待していた成果ではなかったからだ。
ガチャン。と電話を切って、ディーノは「はー…」と溜息をついた。
「……ったく、本当にどこに居るんだ、あいつはぁ」
独り言だというのに、思わず出た言葉が日本語で。
ディーノはそれに苦笑してから、がりがり、と頭を掻いてデスクの椅子に座る。
思い浮かんだ人物のせいで、頭が慣れている言葉がでてしまうらしい。
何しろ彼は、絶対に自分とイタリア語では話そうとしないのだから。
(今じゃ、ぺらぺら話せるくせにな…、じゃなくて)
脱線しかたけた思考に、ディーノは頭を緩く振って。
置いた受話器をもう一度取り、記憶の中の番号をかけた。
『Pronto…、 Chi parla?』
「よぉ、その声はスモーキン・ボムだな、元気か?」
『……んだよ跳ね馬、10代目に何か用か』
互いに声でわかる程度にはこの回線で話しているから。
名乗らずとも知れた相手に、畏まった応対から不機嫌な声に一転し。
相変わらずだなと、ディーノは笑う。
「ツナに話してた事だけどな、たぶんお前も聞いてるだろうから、お前でもいいんだが」
『…ヒバリの事かよ?…聞いてるけどな、あいにくだがこっちにゃ何も連絡こねーよ、あいつの事は』
「そうか。…ま、そうだろうな。悪かった、一応確認したくてな」
『ったく、んな事で10代目の手を煩わせんじゃねーよ!じゃあな』
ガッチャン、と別れの挨拶を返す間もなく勢い良く電話を切られ。やれやれ…と、嘆息した。
かりにも同盟ファミリーのボスだぞ、オレは…。
そう思いつつも、これもまたいつもの事なので、ディーノは肩を竦めるだけだ。
ツナの右腕として良く働いているようだし、公式の場ではわきまえているから問題はない。
それにしても…だ。
ディーノは成果の出なかった電話に落胆して、ずりずりと身体を滑らせて深く座る。
もしかしてボンゴレに顔を出すかもとは思ったが。
行方が知れたら教えてくれ、と言っていたツナにも連絡は取れないらしい。
ここ1週間ほど行方の知れない、彼…恭弥を思い浮かべ。ディーノは再度長く溜息をついた。
別に恭弥がふらりと居なくなる事なんて、珍しい事じゃない。
1ヶ月ほど、誰にも何も言わずに消えていた事もある。
けれど、この時期は。大抵は自分からの連絡を無視するような事はなかったのに。
電話に出ないのはおろか、メールの返信すらない。
ロマーリオから草壁にも連絡してもらって。
キャバッローネの情報網でも探してもらって。
はてにはツナにも気にかけてもらって。
これだけ探して見つからないのだから、八方塞がりだ。
恭弥の事だから、身の心配はしていないが。
(明日だって言うのに、今年は間に合わないかもなぁ…)
自分の努力の賜物で、毎年一緒に過ごす事ができていたが、今年はとうとう無理かも知れない。
学生を卒業して、日本からちょくちょくイタリアにも来るようになったから、会える頻度も上がるかと思いきや。
こんな時はよほど、日本に居てくれた方が良かったかもと思ってしまう。
少なくとも、所在だけは知れていたのだから。
何にせよこれ以上恭弥の事にかまけている事はできない。
仕方ない、もう暫く様子を見よう…と、ディーノは頭を切り替え。
途中だった書類を取りに立ち上がった。
*
その夜。もうすぐ日付を越えようという頃に。
カタン…と、窓が鳴る音がした。
集中して書類を読みふけっていたディーノだったが、わずかな音に敏感に反応して。
ば…っと、後ろを振り向いた。その手は習慣で、胸のホルダーにある銃に伸びている。
「久しぶりに会った恋人に、銃を向けるつもり?」
ベランダに続く窓がおもむろに開けられて、聞こえてきた馴染みのある低音に。
ディーノは目を見開いて、手を降ろした。
「きょ…、きょーや!!」
どうやって開けたのか、閉まっていたはずの窓から難なく恭弥は侵入して来て。
あんぐりと口を開けて驚いていたディーノは、は…っと我に返り、それを苦笑に変えた。
「うちのセキュリティーを、何だと思ってやがるんだお前は」
「敷地にも屋敷にも、ついでにこの部屋に入るのも簡単過ぎる。今まで良く暗殺されなかったね、あなた」
「…大丈夫だ、最後のセキュリティーはオレ自身だからな」
「は…、それは確かに」
「強力そうだ」と、く…と笑ってディーノに近づき、未だ呆けている顔に手を伸ばす。
信じられないように見ているディーノに、恭弥は一層深く笑みを浮かべた。
「あなたのメールを見て、間に合うようにここに来たのに、どうして驚いてるの?」
「…ってそれに全く返事もないし、連絡もつかねーし行方も明かさないで良く言う…って、お前…硝煙臭いな」
「あぁ、直接来てるからね」
眉を寄せるディーノに、恭弥は埃を落とすように、腕をはたいた。
どこからだ…と、口元を引き攣らせて。その姿を良く見ると、黒いスーツに血の染みまで見える。
「お前…何やってたんだ。怪我はないか?」
「大丈夫だよ、全部返り血だから。それより、…0時過ぎたけど?」
「えっ!あ…っ」
恭弥の言葉に、ば…っと顔を上げてかけ時計を見る。
いろいろ問い質したい事はたくさんあったが。
とりあえずは言わなきゃいけない事があって。
ディーノはひとまず全てを置いておいて、そっちを優先させた。
「20歳の誕生日おめでとう…!!」
嬉しそうにそう言って、むぎゅ…っ、と目の前の身体を抱きしめる。
怪我はないと聞いたディーノの腕は容赦なく、苦しいくらいの力を感じるが。
恭弥は押しのけようとはせずに。
「…有難う」と一言だけ呟いて、微笑を浮かべた。
*
ひとまず身を奇麗にしてこい、とシャワー室に放り込まれた恭弥は、
置いてあったバスローブを着て、濡れた髪のまま部屋に戻ってくる。
「あー、もう。ちゃんと拭いてから来い、お前はー…」
咎める口調で言うのに構わずソファに座ると。
「全く」と言いながらタオルを持ってきたディーノが頭を拭い始める。
好きなようにさせながら、机に置いてあるワインの瓶に手を伸ばした。
「こら、動くなって」
「これ…プレゼント?」
机に何本か並べられた高級そうなワインの瓶は、これまた年代物のラベルが貼ってある。
酒の質に興味のない恭弥は、ラベルの内容はわからなかったが。
その年代だけは目に止まった。数字に覚えがあったからだ。
それは、自分の生まれた年だったのだから。
「あぁ…、お前の生まれ年のやつを取り寄せたんだ。ようやく今日から、ちゃんと飲める年だしな」
「今までだってさんざん付き合わせてたくせに」
「あんな軽いの酒じゃねーよ、これからは本物の味教えてやる」
ごしごし、と拭いてた手が止まり、確かめるように恭弥の髪を梳いた後。
満足したのかタオルをソファの背にかけ、ディーノは机の横に歩いて、違う瓶を手に取る。
「この年代の、なかなか数がなくてさ。これだけ集めるのに苦労したんだぜ」
「僕は日本酒の方が好きだけど」
「そう言うと思って、それもあっちの棚に置いてある」
「……どれだけ飲ます気なの」
「だってせっかくの解禁日だぜー?飲まなきゃ」
楽しげにそう言って、戸棚に向かうディーノの背を呆れたように見送る。
ただ自分が飲みたいだけなんじゃないのか、あれは…と、錯覚してしまうくらいに。
浮かれているように思えるからだ。
「楽しそうだね」
「んー?だって、な。今、恭弥が居るから」
「……?」
「お前、さっきの様子から見て…、簡単な所から来たんじゃねーよな」
「……まぁ、確かに。埃を落とす時間もなかったからね」
「でも、オレのメール見て、ぎりぎりでも来てくれただろ?それがすっげー嬉しくてさ」
その声のトーンが本当に嬉しそうに弾んでいて。
見ている恭弥まで、つられて笑みを浮かべそうになり、慌てて視線を逸らした。
いつまで経っても、本当にこういう所は変わらない…。
心の底から僕を想っている事を隠さないディーノに、近頃は反発する気も起きなくなってきた。
この年月の間で、ずいぶん感化されてきてると思う。
今日だって本当は戻れるような状況じゃなかったけど。
きっと待っていると思ったら。どうしてもここに来たくなってしまったから。
来たらきっと、今のように嬉しそうな笑みを見せて、自分を祝ってくれる。
そんなあなたを、見たくて。
(それでこれだけ、嬉しいと思ってるんだから、自分も末期だな)
手に持ったワイン瓶のラベルを指でなぞり、ふ…、と微笑む。
「ねぇ、あなたの生まれた年のワインはないの?」
「……へ?…そりゃあ、地下に行けばあるけど」
日本酒らしき陶器の入れ物を手に戻ってきたディーノに、恭弥は見上げて続ける。
「どうせなら、そっちが飲みたい。持ってきてよ」
「何だよ、せっかくお前の年の用意したのに」
「これは…、次の2/4に飲めばいいでしょ」
柔らかい笑みを浮かべて見上げる恭弥に、ディーノは目を瞬かせた。
当然その日は覚えがあって。驚いたように恭弥を見た後。
「…いいけど、これよりずっと度がキツいぜ?」と照れくさそうに笑った。
それから屈んで顔を近づけるディーノを引きよせ、軽く唇を啄ばむと、
「大人になった祝いに、本物の味を教えてくれるんでしょ?」
と至近距離で艶笑して。
再びディーノの首に腕を回した。
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2008.05.13