<4>


考えてみると、こんなに何度も同じ相手と戦ったのは初めてだった。
ひたすら続いた真剣勝負。たった10日ほどでどれだけその視線を合わせたかわからない。
一瞬も目を離す事ができなかった。一呼吸でも気を逸らしたら危うくなった。
だから全神経を傾けて、鋭く射抜く眼差しを受け止めていた。

自分は別に戦闘マニアじゃないから、戦いで興奮するような事はなかったけど。
恭弥との打ち合いは、不思議と心が昂ぶっていたような気がする。
実戦じゃないからなのか、生徒に向けてだからなのかわからない。
ただ、恭弥の発する気に引きずられていたのは確かだ。
攻撃中の愉悦に満ちた瞳から、いつしか目を離せなくなっていて。
まるで捕らわれたかのように見惚れていたように思える。

戦いの極限状態における、錯覚なのかも知れない。
けれど、今までの死闘を潜り抜けて、ようやく全てが終わった今。
紛れもなく大切だと思える存在に、なっている。
離れるのが寂しいと、思ってしまっている。




「ボス、だいたいの帰国準備は終わった。今夜にでも発てるぜ」

ホテルのソファに座ってディーノが溜息をついた時、タイミング良くロマーリオが部屋に訪れた。
予想できた内容に更に深く息を吐く。
数呼吸、考えるように目を閉じた後、ディーノはぼそりと、「…お前たち、先に行ってくれねーか?」と呟いた。

思いかけない返答に、ロマーリオは言葉を詰まらせた。
今まで幾度となく日本に来て居たが、こんな風に言うのは初めてだったからだ。
何事もなければすんなり聞けたかも知れないが。
長く滞在し過ぎている今は早く帰国すべきだったから、ロマーリオは眉間に皺を寄せる。

「――そりゃあ、良い提案とは言えねーな…」
「1日…、いや、明日の朝には出発するから。……頼むよ」

そう言って見上げる顔は、ロマーリオにでさえ、暫く見せなかったもので。
ロマーリオは困ったように目を細めた。

「どうした、ボス。―――“ディーノ”の顔に、なってるぜ?」

しかし、苦笑する彼の言葉に、決して咎めるような色はない。
幼い頃からずっと共に居る、家族にも等しいこの右腕は、自分の小さな変化も見逃さないらしい。
まいったな…、と前髪をくしゃり…とかき上げ、ディーノも苦笑する。

「ちぃっとだけ、我が侭言いたくなっちまって、さ」
「恭弥か?」

間髪居れず言うロマーリオに、ディーノの顔はますます苦いものになる。

「……んとに、お前には敵わねぇな」
「付き合い長ぇからな。…ったく、仕方ねぇ。チケットは明日の夜の便にしてやるよ」

飄々と言って部屋を出ていこうとした彼に、ディーノはぽかん…、と呆けた顔をした。

「……いいのか?」
「いいわけねーだろ?…部下としては、な。だからこれは、あんたの家族として聞いてやるんだよ」
「ロマーリオ…」

肩越しに、に…っと笑う彼に、ディーノはGrazie…、と続けた。
それにひらりと手を振って、ロマーリオは部屋を出て行った。





「…ふぅん、そう」

ディーノが帰国する事を告げると、恭弥はそんな気のない返事をした。

戦いが終わった次の日から後処理に奔走していて、恭弥とは連絡も取っていなかった。
数日して応接室に現れたディーノを一瞥しただけで、彼は書類に向き合い直す。
相変わらずの素っ気無い態度に苦笑し、ディーノは早々に本題を告げて。
そして冒頭の返事。

「ふーんって。ほんっとにお前は冷たいんだからなー」
「………、別に。すぐにまた来るんでしょう?」

肩を落としかけたディーノを、恭弥の言葉が引き戻した。
まじまじと見つめられ、恭弥は眉を潜める。

「来るんでしょ?」

さも当然といった様子でもう一度言う彼に、ディーノは目を瞬かせて。
「そうだな」と、一転して明るい笑顔を見せた。
たとえそれが勝負のためだったとしても、来て良いんだと言われた気がして嬉しかったのだ。

「今決着を着けて、咬み殺してあげてもいいけど?」
「あー、いや!今日は、ちょっと調子が悪いから。それは次!次来た時な!」

へら、と笑った顔にむっとしてトンファーを構えた恭弥に、慌ててディーノは言い繕う。
今日は1人で来てるから、ここで殴りかかられるわけにはいかないのだ。
気を入れそうにない様子を悟って「なんだ、つまらない」と恭弥は腕を下ろした。

「じゃあ何、これから帰ります。…って言いに来ただけなの?」
「ん?…あー、まぁ…そーゆう事になるのか。」

ソファで、かりかりと頬をかく彼に恭弥は憮然とした視線を送る。
つまらなそうに嘆息すると、恭弥は近づいて「あなた暇なの?」と見下ろした。

「暇じゃねーんだ、これが。あんまり長く日本に居たから、仕事がたまってたまって」
「そう、ならとっとと帰れば良いじゃない。今夜にでも発つわけ?」
「いや…明日の夜だ。お前に会っておきたくて、少し伸ばした」
「……ふうん…」

そう言って笑うディーノを恭弥は見下ろし、ふいに手を伸ばして肩を押した。
油断していた身体は容易に倒れ、瞬く間にソファに押し倒される。
驚いて目を見開いていたディーノだったが。じぃ…、と見下ろす黒の瞳を見つめて。
それがそのまま覆い被さってきても、避けようとはしなかった。
重なる唇が温かさを伝え合う。吐息を交じらせて、深くキスを絡め。
離れた時には互いに、荒い呼吸を応接室に響かせていた。

「どうせなら、二つ目の報酬でも払って行ったら?」

大人しくキスを受け入れた様子に、恭弥は口端をつり上げて言う。

「あなたは何も言わなかったから。了解したかどうか知らないけど」

つ…、と頬に指を滑らせて、続けた恭弥にディーノは眉を寄せた。

「…できるのかどうか、わからないから、答えれなかったんだ」
「一度はできた事なのに?」
「あの時は理由があったからな」

そう、一度だけ身体を重ねた時までは、まだ意味があったのだ。
戦いの興奮が治まらない、困った生徒の相手をしてやった。それだけだった。
でもその後何度か交わしたキスには、何の理由もない。
いつでも手を伸ばして来たのは恭弥だったが。
逃れようと思えば出来たはずなのに、しなかった。

恭弥に惹かれているのは確かだ。
その揺ぎ無い真っ直ぐな強さに。何にも侵されない孤高の精神に。
ほんの数日で強烈な印象と存在感を植え付けられて。すっかり囚われてしまっている。
けれど、恋情の類のような甘い感情でもないと思う。
恭弥が触れて来なければ、“大切な可愛い生徒”で終わっていたはずだから。

でもオレは、伸ばされるままに手を受け入れてしまっていた。
いつの間にか触れる事に違和感がなくなっていた。
生徒への許容にしては行き過ぎている。本当は、ここで止めた方が良いのだ。
だけど。だけど…そう思っているなら、どうして―――…

「……“振り払えない”ってだけでも、僕は構わない」
「恭弥?…っ、んっ…」

静かに低くそう言った恭弥が、再び覆い被さって唇を重ねてくる。
舌を深く差し入れ絡めて、先ほどよりも熱く交じり合った。
息をも奪われそうなキスに、苦しくて引こうとしたディーノの頭を抱え込む。
唾液の音が耳朶に響いて。蕩ける快感と酸素不足で頭がぼう…と、してきた頃、ようやく開放された。

「……は、…ぁ…」
「本当は了解なんてなくてもいい。あなたの甘さで突き放せないなら、それに付け込ませてもらうよ」
「…っ、ん…、ちょ…待て…!」

朦朧としている所に、唐突にズボン越しに中心を握られて、顔を顰める。
そのまま握力をかける相手に、ディーノは腕を突っぱね、身体を押し退けた。

「こんな場所でやるつもりかよ!」
「……じゃあ場所を変えれば良いの?」
「そ、れは…」

冷静にそう返されてディーノは口篭った。
場所はともかく、行為自体への拒否が、咄嗟に現れなかったのだ。
それは事実上、受け入れてしまっていると言っても過言ではない。

「…あー…、もう!!!…っとにわかんねー!!」

ディーノ自棄気味にがしがし、と自分の髪を掻き乱して、それから恭弥の身体をぐい、と引き寄せた。

「このまま、ホテルに連れてくぞ!」
「…ワォ、大胆なお誘いだね。覚悟を決めたって事?」
「どうだかな。途中で我慢でなくなって、蹴っ飛ばすかも知んねー…」
「僕を試す気なの?」

抱き込まれた腕から嫌そうに逃れて、恭弥は、ぎろ…と睨み上げる。

「そうだって言ったら、止めるか?…考えたってわかんねーなら、試してみるしかねぇだろ」
「……良い度胸じゃない。言っておくけど、もし嫌になっても止めないし、それなりの手段を取るよ」
「できるもんなら、な。そうなったら簡単にはいかいないぜ。…どうする、それでも来るか?」
「―――……行くよ。僕はあなたと違って、迷いがあるわけじゃない」

挑戦的な光を浮かべて、恭弥はにやり…と薄く笑った。

(迷い…か。確かにそうだな)

言われた言葉に、身を起こしながらディーノは苦笑を浮かべた。
自分が恭弥とどういう関係になりたいのかが、いまいちわからない。
簡単な身体の関係にはなりたくない。けれど、恭弥が望むなら、とも思ってしまっている。
どれだけ彼に甘いのか…、自分に苦笑を禁じえないが。
けれどもし、理由なく受け入れる事ができてしまったら。
きっとオレはもう、恭弥を突き放す事ができなくなるだろう。

分の悪い賭けだな、と思いながらも。ディーノは恭弥を促して応接室から共に出て行った。


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2008.01.28