目が覚めた場所は見知らぬ白い天井の部屋だった。
がば…!と身体を起こすと、ズキズキと頭が痛む。
(くっそー…容赦なく殴りやがって…)
朧気ながら覚えている気絶する前の事にディーノは毒づいて。きょろきょろ…と辺りを見回した。
ソファに寝かされていた自分から離れた場所のベッドに、元凶の少年が寝ているのを発見する。
薄暗い部屋だったが、夜目の効くディーノは危なげなく歩いてベッドへ近づいた。
得体が知れねーって言ってたのに、よく同じ部屋で寝る気になるもんだ。
ディーノは特有の力で、完全に気配を消せるため、近づいた事には気づかれていないようだ。
すよすよと眠る顔は、自分と同じくらいのあどけなさで、とても武器を振り回すような者には見えないが。
そんな風に寝ていられるのは、たぶん、何があっても対処できる自信があってこそだと思う。
確かに彼には溢れる力を感じた。人間とは思えないくらい、強いオーラみたいなもの。
(変な人間ー、周りにゃ居ねぇーなー…)
しげしげと見つめていると、少しだけ身じろいで、彼が寝返りを打った。
ころん、首を傾けて。はだけたシャツから首筋が見える。
その白い肌を目にして、ディーノの鼓動がドクン…と波打った。
(これって…、チャンスだったりして…)
ごく、と。ディーノは密かに喉を鳴らす。
人間に対してこんな風に思ったのは初めてかも知れない。それほどに、自分が飢えているのを感じていた。
さっきは咄嗟でできなかったけど。自分の力を使えば、相手を眠らせる事ができる。
気付かずに吸血する事ができるのだ。その後で、ここから逃げてしまえば――……
大好きな人間を傷つけたくなかったけど。こいつには殴られたし、仕返しも兼ねていいよな、なんて。
数日の断食状態で、ディーノはその誘惑に勝てそうになかった。
すう…、と意識を集中して、彼を包み込むように力を注いだ。
人間には見えない、ぼんやりと薄く赤いオーラが彼を包んで行く。
これで眠りはさらに深くなったはずだ。自分が触れても、起きないだろう。
ふらり…と吸い寄せられるようにディーノはベッドに上がると。
彼の両脇に手をついて、唇を寄せて行った。
――――その時。
がば…、っと身体を反転させられて。あっと言う間に、ディーノは反対に押さえつけられてしまっていた。
「何のつもり?」
はっきりとした声が頭上から聞こえる。
「な、な…っ!何でお前、力が効かねーんだよ!!!」
大丈夫だと思っていた事が覆されて、ディーノの声は裏返っていた。
そう言えば、精神力で負けていると効かないとか聞いた事があるが。
この少年はそれほどに強かったという事だろうか。それとも自分の未熟さゆえか。
両方かも知んねぇー…と、情けなさにディーノは心中で頭垂れる。
「力って何?僕に何をしようとしたの?それに…」
押さえつけた手を頭の上で片手でまとめて、彼はベッドに置いてあったのだろう、明かりのリモコンを押した。
ぱ…っと、部屋が明るくなって。ディーノは眩しそうに目を細める。その頬に、彼の手が触れた。
「この赤い目と、牙。いつの間に生えたんだい?…この姿、まるで吸血鬼みたいだね」
「―――!!!」
ぐい…と顎を捕えられて上向かされ、最初はなかった牙を指してそう言う。
人間の想像上に位置するモノを上げただけだろうが。言い当たられて、びくん…とディーノの身体が震えてしまった。
「……何?まさか本当にそうだとか言わないよね」
馬鹿らしい、とばかりに嘲笑するのにムっとして。ディーノは「だったらなんだよ!」と言い返してしまっていた。
「お前の言う通り、吸血鬼だよ、オレは!お前の血、吸ってやろうと思ったんだ!」
「……僕の想像する姿とはだいぶ違うけど、ずいぶんと弱い生き物なんだな、吸血鬼って」
「ば…馬鹿にすんな!お…、オレはまだ半人前なだけだ!」
「そう。だから失敗したんだ。血を吸って、僕を仲間にでもしようとしたの?」
「ちげーよ、ちょっと貰おうと思っただけだぜ。別に、血吸ったからってんな事にはなんねーし」
「………ふうん…」
そこで彼はそう呟くと、何故か拘束していた手を離していた。
ディーノはその行動にきょとん…と、目を瞬かせる。
「…信じてねーとか?」
強く握られた手首をさすりながらディーノは身体を起こして、訝しげに問う。
普通はこんな化け物の話、慄くか拒絶するかだと思うのだが。
彼からはそう言った気配が全く感じられない。
「そうでもないよ。空飛んだのも見たし、その牙と赤い目も信憑性はある」
「……、普通は怖がったり気持ち悪がったりするもんじゃねーの?」
「僕にそういう感情はないな。どちらかと言うと、珍しいものが興味深い」
確かに、まじまじと見つめる視線はそれを物語っていて。
居心地悪そうに首を竦め、ディーノは変な人間だなぁー…と、再度思っていた。
そう気を抜いたせいか。思い出したかのように、ぎゅるるるる…という音がディーノの腹から聞こえてきた。
空腹を物語っているその音が雰囲気をぶち壊していて、ディーノは、かぁ…と赤面する。
「なに。お腹が空いてるの?」
咄嗟に腹を押さえて顔を赤くする相手に、彼はきょとん…と、目を瞬かせた。
そう言えば、もう限界なくらい腹が減ってたんだった。
情けない事この上ないが、ディーノは素直に頷いていた。ここで見栄を張っても仕方がない。
すると、目の前の少年は思案気に唇に指を当てて。それからディーノをちらりと見る。
「何でそんなに空腹になってるの?」
「え?…そ、それは…」
言い難そうに口篭るが、じ…っと向けられる視線からは逃れられそうにはない。
ここまで来て体裁も何もあったもんじゃない。と、ディーノはおずおずと話し出す。
「オレ…、自分で血吸ったことなくて…。んで、できるようにしてこいって、家から追い出されたんだけど、やっぱりできなくって」
「さっき…やろうとしてたじゃない」
「あ、あれはようやくチャンスだと思ったんだ。でも…ま、失敗しちまったけど」
「――――何とも、情けない吸血鬼も居たものだね」
く…、と喉奥で笑われてムっとするが、その通りでしかなかったので反論は出来ない。
拗ねたように口を尖らせて下を向いていると、ふいに顎を捕えられて上向かされていた。
間近に視線が合って、ドキ…とする。
「さっき言ってたけど、吸った事で人体に影響はないんだ?」
「…え、…えと。後遺症は何もないよ。吸う時に痛くないように、ちょっと気持ち良くなるって聞いたけど…」
「気持ち良く?…まぁ、痛いよりは良いか」
「…って、信じてくれるの?」
「……何故だろうね。君は嘘をつかないように思える。……僕の吸ってみる?」
「――――えっ」
じぃ…と、見つめる視線に今はからかうような色がなく。
何だか本気でそんな事を言ってるようで、ディーノは驚愕に目を見張る。
「なななな、なんで?」
「何となく。あんまり情けない話に同情したかな…、拾った犬に餌をやる気分。…こんな経験も滅多にないだろうし、良いよ吸っても」
「―――――ほ、んとに…?」
この人間の言動は不可解な所が多すぎる。
犬うんぬんの所に突っ込みたい気持ちはあったけど。
それよりもディーノは、身体から訴える空腹の方が切実だった。
期待に満ちた声を思わず出してしまって、くす…と笑われて恥ずかしい。
「ほら」
そう言って彼は、ディーノを引き寄せて金色の頭を首筋に接近させた。
最も血が匂い立つとされる首筋に唇を近づけられてしまっては。
もうディーノが、欲求を我慢できるはずもなく。
気付いた時には縋りつくように彼の身体を抱き締めて、そこに牙を立てていた。
「……つ…、…」
つぷ…と、食い込む感触に、少年が身じろぐ。
ディーノは本能のままに、牙の先端から滲み出る血液を吸い取って喉を鳴らしていた。
量にしたらほんの一口だっただろうが。瞬間に満たされた飢えに、身体が震える。全身に歓喜が溢れるのを感じていた。
そのまま夢中で吸ってしまいそうになって、慌ててディーノは身体を離した。
「……何だ、そんなちょっとで良いの?」
「あ、ぁ…うん、充分。…すげー…、初めて飲…んだ」
ちょっとした感動を覚えながら、ディーノはぺろ…と唇を舐める。
今まで時が止まった血ばかり飲んでいて、別にそれがマズイと思った事はなかったけど。
暖かい生きている血がこんなに芳しいものだとは知らなかった。
ぞくぞくと溢れる歓喜に、身震いが止まらない。
「……何だか、欲情してるみたいだね、その表情…」
「へ?」
「…僕も、何だか…熱いんだけど。これが気持ちいいって事?」
彼は擦れた声でそう囁くと、きょとん…としていたディーノをベッドに押し倒していた。
「え、え、え…」
「まるで酔ってるみたい…、凄く、興奮してる…」
そう言ってディーノを見下ろすと、口端をつり上げて笑みを浮かべた。
その黒い瞳が欲に満ちていて、ディーノは捕らえられた獲物のように目を離せない。
どっちかというと、糧にしたのは自分の方なんだけど。全く立場が逆のように感じる。
「せっかく人間の形をしているんだから、血のお返しでもして貰おうかな」
「えっ、…ちょ、ま…待って!何すんの?おま…っ」
「―――恭弥」
「え?」
唐突に言われた事に、ディーノは対応できずに目を瞬かせる。
「お前と呼ばれるのは気に入らない。僕は…恭弥だよ」
「きょー…や?」
「そう。それでいい」
おうむ返しに呼んだディーノに、少年は満足げに微笑んだ。
その笑みが壮絶に艶っぽくて、ディーノはごく…と唾を飲み込む。
彼が、恭弥が。そのまま身体を寄せてきても、ディーノは逃げようとはしなかった。
飲んだ血と同じ、恭弥から溢れる芳しい香りのせいだろうか。
自分もまた、血に興奮しているのだろうか。
どちらかは知れないが、突き放そうとはまるで思わなかった。
彼がしようとしている事も、たぶん自分には初めての事だったが。嫌悪感はなく。
そのまま身体を沈めてくる恭弥の背に、ディーノは腕を回していた。
*
なんか、いろんな初体験をいっぺんにしちまったぜ…
ぼんやりと思いながら、ディーノはごそごそと、気だるい身体を起こして衣服を身に着けていた。
昨日の夜。恭弥という少年となし崩し的に身体を重ねてから。
初めての経験に身体がだるくて。1日通り越して次の日の夜まで起きれなかった。
どのみち日中はあまり活動ができない。それを知っているのかどうか、目覚めた時から恭弥の姿は見当たらなかった。
すっかり身支度を済まして、どうしたもんかな、と考えていると。
がちゃ…と、部屋の扉が開けられる。
「起きたんだね」
「…あ、…うん…」
短くそう言われて、頷くしかできなかった。
何だかあんな事があったから、ちょっとだけ気恥ずかしくて。視線を合わせないように俯いていたのに。
恭弥は近づいて来ると、く…と下顎に指を添えて上向かせる。
少しだけ自分より高い視線と重なって、またドキ…と、鼓動が跳ねた。
「……本当は、髪の色と同じなんだ」
「え?…あぁ…、目の色?…うん、赤いのは力が出る時だけ」
「ふうん。…赤く光ってたのも綺麗だったけど、こっちの方が合ってるね」
ぽつりとそう呟いて、恭弥は捕えていた顎を解いて、身体を離した。
何だかまるで、口説かれてるみたいだと。思った思考を、ディーノはぶんぶん、と頭を振って掻き消す。
こいつ、ホントに不思議な人間だ。何だか調子が狂ってしまう。
「帰るの?」
無意識に赤くなる頬を沈めようと両手で挟んでいると、恭弥はそう声をかけてきた。
「……うん。おま…、恭弥のおかげで血も飲めたし、帰れる、けど」
(帰してくれるんかなー…)と、ディーノは窺うように上目で見る。
調べるとか興味深いとか、何とか。彼の好奇心のまま、捕えられる可能性もあるとは思っていた。
たぶん、逃げるだけなら隙を付けばできるだろうけど。何故だかそれはしたく無い。
どうしたんだろ、オレ。初めて飲んだ相手に餌付けされちまったんかなー…
その後のとんでもない行為も含めて、強烈な印象の人間に、自分もまた興味を抱いているようだ。
「また来るなら、帰っても良いよ」
そんな事を思っていると、恭弥はそう言って。部屋の外側の窓を開けた。
そこから出て行って良いよと言わんばかりに全開にされた窓に、ディーノはぽかん…と、呆けた顔をする。
「……な、なんで?」
また来いと言った言葉と、あっさりと逃がしてくれる事への二重の質問をしていた。
恭弥は思案気に「そうだね…」と目を細めるが、すぐに言葉を続けた。
「この街に害を及ぼすような者じゃない事はわかったから、帰してあげる。
それと…、なかなか退屈を凌げた事も興味深い。だからまたおいで…、かわりに血も飲ませてあげるよ」
「――でも、そっから出てっちまって、オレがまた来る保証なんてねーじゃん?」
「……それは、君次第だよ」
そう含みを持たせた言葉を言って、薄く微笑む彼に。ディーノは目を奪われた。
どきどきするその感情の正体は知らなかったが。
ディーノは、きっとまたここに来るだろうと。
そんな予感を抱いていた。
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2008.03.19
パラレル2段目です。何だかいろいろ突っ込み所が満載ですが、パラレルっつー事で見逃して欲しいとか。
設定から細かく書いてたら、鬱陶しいだろうって事で、なるべく簡略化してます(笑)
ちなみに吸血鬼ネタの本が出てますが。設定は、8割くらい違ってます。
つか、ちゃんと仔ディノになってるのか…?言動をかなりやんちゃにしてるつもりですが、
どうしても大人ディノが滲み出てくる(笑)ついでに恭弥がエセすぎる…(笑)
君呼ばわりはワザとですけども、それのおかげで違和感ばりばりだ(笑)
恭弥よりちっちゃいのにそれを現せていない未熟もの…!!エロは割愛しましたすみません(爆)
書こうか迷ったんですが、脳内で葛藤があったので(笑)ただの恭弥×仔ディノになりそうだし。