3:爪を立てて
それはとある日の午後だった。
駅前の高級ホテル中に設置された噴水近くで、バシャーン!と盛大な音が上がった。
「……いってぇー!!!」
すぐ後に、高い叫び声があがる。
「わー!!ボス、何やってんですか!」
「あぁぁぁ…、ちょっと目を離したら……」
我らがキャバッローネのボスの元へ、離れていた部下達が慌てて駆け寄った。
ディーノは、何をどうしたらそうなるのか。広場中央に設置された噴水に見事にはまっていた。
「ミスった…」
ずぶ濡れのまま部下に手を引かれるディーノに、巨大ファミリーのボスとしての威厳は全くない。
注目されるギャラリーの目を避けながら、彼らはそそくさと直通エレベーターに向かった。
「ったくボスはこれだから。一人の時は大人しくしてて下さいって言ってるでしょう」
「ただ噴水の周りを歩いてただけだ…ぜ?」
共に居た、自分よりも若い部下にも窘められ、ディーノはがっくりと肩を落とす。
直属のファミリーでディーノの特異体質を知らない者は居ない。
しかし彼らは本当に咎めるでもなく。一様に、やれやれしょうがねーなぁ…と笑っていた。
ファミリーの為ならいかんなく力を発揮する彼を、みな尊敬し、心酔しているからだ。
「あー…ったく、全身ずぶ濡れだぜー…」
「風邪引きますよ、ボス。早く脱いでください」
フロアに上がってしまえば、もうそこはキャバッローネの貸切だ。
廊下ではあっても、身内以外居ないため気兼ねなく濡れたTシャツを脱いで部下に渡す。
「きれーな背中だなぁ、ボス」
後ろについていた一人の部下が、揶揄るように笑い混じりで言う。
タオルを受け取りながら「んー?」と振り返ると、壮年の黒服がにやにやと煙草を加えている。
「何だよ、グイド。どーいう意味だ?」
「忙しいのはわかるがよ、たまには女遊びもしねーと欲求不満になるぜ?」
「ばーか、ボスは爪立てるような女は相手にしねーんだよ」
「何言ってんだ、背中の爪痕は男の甲斐性だろーが」
擁護しようと思ったのか若い一人が横槍を入れると、
グイドと呼ばれた30半ばの男は、含んだ煙を、はー…とその青年に吐いた。
「このやろ」
「あー、待て待て。オレを置いてケンカすんなっての」
睨みあいになりそうな二人を諌めて、ディーノは苦笑する。
「背中の痕ねぇ…」タオルを首にかけて、そう呟くディーノに、部下は片眉をひょい、と上げた。
「なんだぁ?本当に溜まってんのか?ボスなら相手に不便はねーだろー?」
「ばっきゃろー、んな暇ねぇーっつの!…ほら、散った散った。着替えたらすぐ行くからよ」
自室として借りている部屋の前で、ディーノは部下を手をひらひらと、追い払う。
「この後は例のファミリーとの食事だからなー、ボス。ついでに正装して来いよ」
「そうだったな。じゃ…ロマーリオ呼んでおいてくれ」
部下達は「了解」と短く言って離れていった。ディーノは嘆息すると、部屋に入り、
(まずはシャワーでも浴びねぇとなー…)と、ベルトを外しながら浴室に向かう。
ザザー…と、ぬるめの湯を頭から浴びつつ、さっきのやりとりを思い返す。
ディーノが何も言わなかったのは、何とも答えられなかったからだ。
別に、あいつらが言ったように、お上品な女ばかり相手にしてるわけじゃない。
むしろ真逆の、凶暴な獣みたいな相手を思い浮かべ、ディーノは頬を引き攣らせる。
(本当の事なんて言えるかって…)
流れる湯で冷えた身体をさすって温めながら、自分に痕が残っていなくて良かった、と思っていた。
それは、部下の言ったような、爪痕の事ではなかったが。
*
「……どうしたの?今日は」
「…っく…、ぁ…何が…、だ?」
恭弥は、自分の下で呼吸を荒げる青年に、怪訝そうに問いかけたが。
内部に挿入された直後に声をかけられても。
思考は飛び気味で考える間もなく、ディーノは反射的に返しただけだった。
息も切れ切れな様子に、通常ならそのまま揺さぶる身体を一旦置いて、再度口を開いた。
「気づいてないとでも、思ってるの」
「……だから、何の事だよ?」
圧迫はあるものの、動きが止まれば少しは落ち着く。大きく深呼吸してから、ディーノは恭弥を見上げた。
不思議そうな面持ちは本当に意味を理解していないようで。恭弥は眉を寄せる。
「…ふぅん、無意識なんだ。あなたが気づいていないとは思わなかったよ」
「恭弥…?さっきから何言っ…!ん、…ぁっ…ぅ、」
急にぐ…と腰を穿たれ、ディーノは堪らず、引き攣った嬌声を上げる。
衝撃を耐えるためか、ぎゅ…とシーツを捕んだ手に、恭弥は手のひらを被せた。
「……これだよ、これの事」
「っぅ…、く…、な…にが…、っぁ」
「手が白くなるほど、何でシーツなんか握り締めてるの?って言ってるんだよ」
「……は…?」
刺激に流されそうになるのを必死で抑えつつ、恭弥の言葉を反芻する。
ちら…と、自分の手の方に視線を流せば。
不自然に、敷いたシーツを固く握り締めている手が目に入る。
(あー…、あの事…気にしてんのか…、な。オレ…)
この間、部下と背中の爪痕の話などをした後に、ふと思った事の所為かも。
最中の事はあまり鮮明ではなかったが。
背に手を回した時、もしかして自分も爪を立てたりしてるのか…?
何て事を思ってしまって。それはちょっと、男としてどうなんだ…と苦悩もしたりして。
それが原因で、無意識に恭弥の身体に触れないようにしていたのか。
「いつもは手を回して、僕に縋ってくるくせに」
「……っ、そーいう言い方…よせ…、っう、ぁ…」
恭弥はシーツに縫いとめられていた手を力任せに引き剥がすと、
緩慢だった動きを激しいものへ変化させた。
ぐり…、と内部が抉られて、ディーノはびくん…と、身体を震わせる。
力が抜けたのを見て、ディーノの腕を背に回そうとした時、く…と、僅かに抵抗を感じる。
「……、…なに。…何をそんなに嫌がってるの」
恭弥とて、そこまで拘るつもりはなかったが。
快感を感じ始めているこの期に及んで、そんな変な抵抗を見せる事に、む…っとする。
「…ぁ…っ、ちが…、オレは…ただ…、っん…ぁっ」
「何が違う?そんなに僕に縋りたくない?」
「ち…が…っ、…ぁっ…、ちょ…っ、止まれ…って…、の!!」
喋ろうとするのに、何度も突き動かされてまともに言葉にならない。
ディーノは渾身の理性を振り絞って、恭弥の腕を掴んだ。
さすがに異変を感じたのか、恭弥はぴた…と動きを止める。
その隙に、はぁはぁ…と荒い呼吸をして息を整えた。
「オレはな。あー…、その…お前に傷つけんじゃねーかって、思って」
「……何?」
言い難そうにもごもごと吐くディーノに、恭弥はあからさまな不審の声を出す。
どんな言い訳をするかと思ったら。相変わらず意味のわからない事を。
剣呑な雰囲気を帯び始める恭弥に「だ、だから!」と、慌てて続けた。
「身体に手ぇ回して爪とか立てたりしたら…って考えたら、無意識に…」
「…今さら何でそんな事を」
今度は具体的に言うディーノに、恭弥は呆れたように息を吐く。
(今まで何回、sexしたと思ってるんだ)
そんな考えに気づいたのか、ディーノは「少しきっかけがあっただけだ」と微苦笑する。
「生憎だけど。あなたが僕に爪を立てた事なんて、一度もないよ」
「え…、あ…そっか。そーなんだ…」
「……むかつくね。嬉しそうにしないでくれる?」
明らかに、ほ…っとした顔に、恭弥はぎろ…と睨みつけて。
止まっていた身体を大きく突き動かした。
「…っぁ!…、あっ…ぅ…、きょ…や…っ」
再び急激に溢れ出す快感に、目を閉じて声を上げる。
さっきの事を聞いて躊躇いがなくなったのか、ディーノの腕は恭弥の背に回されていたが。
やはり強く掻き抱くようなものではなく、力をかけないように添えているだけだ。
「一度でいいから、爪を立てるくらい我を忘れてみなよ。イく時ですら、抱きしめる力を加減をするくせに…」
ホント、むかつく…
内部を巡り始める快感の波に、恭弥の低い呟きは流されて行った。
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部下にオリジナル名出てますがすみません(笑)あと数人いますがそんなに出張りません(笑)
名前ないと不便だしねぇ…(笑)この話、二年後くらいになってそう(笑)