8:殺していい?
恭弥は壁にもたれて、グラスを傾ける。
未成年の彼に渡されているのは、当然ノンアルコールのシャンパンだったが。
スーツを着てグラスを持つ姿が、とても中学生とは思えないくらい、様になっていて。
妙齢の女性すらもつい視線を投げてしまうほどだ。
だが不思議と、彼に近づく人は誰もいなかった。
まるで彼の周りに、バリアでも張られているかのように。
遠目で見ていた黒服眼鏡の男、ロマ―リオは(やれやれ)と肩を竦めた。
少し彼を知っているものならば、あれは機嫌が悪いんだろう、と感づいただろう。
知らなくとも、近寄り難いオーラに気付く程の雰囲気だ。だから気になっても、誰も側に行かない。
しかし約一名、それに全く気付いていない人物がいた。
否。もしかしたら気付いていて、かわしてるのかも知れない。
(ボスも罪作りな…)
その、壁の花になっている恭弥の視線は、常に一点に向かっているというのに。
肝心の当人は知らぬふりのまま、にこやかに他の人と歓談をしている。
恭弥とは真逆に、彼、ディーノの周りには人が溢れていた。
絶やさない笑みは、ロマ―リオは良く知っている顔だった。
人あたりの良い柔らかい笑顔。あれはキャバッローネの表の“顔”をしている時のボスだ。
公的な場で、彼がそれを崩す事は滅多にない。
愛想の良いディーノに、ほとんどの人が気分良く会話を続け、仕事の関係は良好である。
ただロマ―リオは、あれが本心の笑顔でない事も知っていた。
いや…ファミリーの為の事なのだから、ある意味では本心なのだろうが…
付き添いである彼は、ドア近くでひっそりと控えながら、彼らを見守っていた。
と言うより、恭弥がおかしな行動を起こさないか監視をしていた。
日本で仕事関係のパーティに招待されたディーノは、何を思ったか恭弥を誘って。
そして当然断ると思われた恭弥が、何の気紛れか了承して、この場に至る。
早々に仕事関係者に囲まれてしまったディーノから、群れが嫌いな恭弥が離れたのは、言うまでもない。
予想できるこの状況に、一体、何を思ってなったのやら。
二人の心境が知れなくてこっそり溜息をついた時、ディーノがちらり、と恭弥に顔を向ける。
変わらず見ていた恭弥と、視線が重なった。睨むような恭弥の瞳を真っ直ぐに捕え、そして。
それはもう、鮮やかに。満面に笑みを浮かべたのである。
今までとは違うそれに、睨んでいた恭弥の表情は崩れ、何とも複雑なものに変わった。
暫く瞠目して、目を逸らすと。ディーノから逃れるように、ドアに向かって歩き出した。
一部始終見ていたロマーリオは、そのやり取りに思わず吹き出しそうになる。
拳を口に当てて笑いを耐えている彼を、ドアに近づいた恭弥は殺気を満たして睨みつけた。
「咬み殺すよ…?」
「おっと、それは勘弁してくれ。このホテルに部屋が取ってある、ボスから言われてるんだ、行くだろ?」
「………案内して」
いろいろ言いたい事はあるようだったが、続いた言葉にしぶしぶと黙り込んだ。
この場から逃れられるなら、何でも良い。そんな気持ちがありありとわかる。
(さーて…、どう納めるのかね。うちのボスは)
ドアに向かい、背中を向けていたが。ディーノがこちらを見ているのはわかっていた。
できれば、部屋の備品は壊さないでくれよ、と祈りながら。
ロマーリオは恭弥を促してパーティ会場を後にした。
*
恭弥が1人待つ上階の部屋にディーノが向かったのは、それから1時間ほどしてからだった。
思ったより引き止められる時間が長くて、さすがに心中で焦っていたディーノだったが。
それをおくびにも出さずに、全ての関係者と友好的に挨拶をしてから、さり気なく会場を出る。
出た廊下で待機していたロマーリオに「大人しく行ったか?」と、苦笑して聞いた。
「ま、一応な。でも相当機嫌悪かったぜ?」
「…あの顔からして、そうだろうな。さーて、どうしたもんやら」
「そう言いつつ、顔が嬉しそうだな、ボス」
笑みが消えないディーノに、冷やかすように言ったものだが。
ディーノは臆面もなく「まーな」と言ってのけた。
その対応に、恭弥との差を感じさせられる。だてに経験を積んでいないという事だ。
そんなボスに、心配はいらねぇな、とロマーリオは肩を竦め。
「じゃ、オレは戻ってるぜ」と、言い残して去って行った。
ディーノは急ぎ足でエレベーターに乗り、部屋に向かう。
取りあえずは、放っておいた事を謝らないとな…と、思いつつ部屋に入り、後ろ手にドアを閉めた瞬間。
凄まじい殺気を感じて、咄嗟に身を屈め…そのまま尻餅をついた。
情けない事このうえないが、部下の居ない状態で避けられただけでも上出来と言えよう。
ディーノの頭の上を掠めたトンファーは、分厚いドアに直撃していた。
「……あーぁ…、あんまり壊さないでくれよ、馴染みのホテルじゃないんだか…ぐ、ぇ…」
上目で無残に抉られたドアを見つつ言った言葉は、喉元に水平に押し付けられたトンファーに遮られる。
「ねぇ…、殺していい…?」
擦れた声と共にぐいぐいと押される力に容赦がない。
ディーノは苦しげに顔を歪めて、押し付ける腕を掴み、力を込めて息のできる所まで押し戻した。
「…げほ。ちょ、待て…。悪かったよ放っておいて。何でもするからさ、機嫌治せって」
「だから、殺していい?って聞いてる…、何でもって言うなら――……」
「お前…、酔ってる?」
よくよく恭弥をじっと見詰めると、据わった目の、視線がおぼつかなくて。
きもち、呂律も緩んでいるような気がするし、会話も微妙だ。
ディーノは怪訝そうに片眉を上げ、ぎゅ…と握った腕を、逆に引いた。
体制を崩した恭弥の身体を抱き締め、そのまま唇を重ねる。
(こりゃ…、部屋に置いてあったワインだな…)
腕の中からはさしたる抵抗はなく、そのまま舌を絡めて。ディーノは感じる味に目を細めた。
やれやれ、未成年だから、との会場での配慮が全く無駄になっちまった。
しかしそこまで機嫌を損ねたのは自分だから。咎める事もできない。
内心で苦笑しつつも。離れないキスは深くなっていって。
恭弥が最初に見せていた殺気はだんだん薄れていった。
自ら握力を解いて武器を落とすと、ディーノの頭を抱き、抱え込む。
「ん…、…ぅ…ん」
どちらともなく吐息が鼻腔から漏れ、息苦しくなってきた頃。
唇は離され、互いに熱い息を吐く。
「…まだ殺したい?」
「―――殺したいよ、あの顔を見せるあなた全て」
「あの顔?」
「会場での、へらへらした笑い…、あれ、嫌いだ…」
そう言って嫌そうに眉を寄せる表情に、ディーノは瞬きをする。
酔っているからだろうか。いつもより素直に表情と言葉が伝わる。
拗ねたような様子の彼に、ディーノはどうしても顔が緩んでしまった。
だって、恭弥が苛々している原因。会場の時からわかっていたが、あれは――……
「恭弥の前では、見せないんだから、勘弁してくれよ」
「嫌だ。もう、あの顔をできないように、咬み殺す…」
そう言って武器のない両手をディーノの首に回し、握力をかけようとする。
容赦なく込められる力に、さすがに腕を掴んで、押し止めた。
「きょ…や、お前…だけに見せる顔も、見れなく…なっちまうぜ?」
苦しげに擦れた声でそう言って。首を絞められているという、そんな状況で。
ディーノは、鮮やかに笑って見せた。
自分に向けるその顔は、同じ笑顔でも違う。それは恭弥にもわかっていて。
悔しそうに唇を引き結び、首にかけていた手を解いた。
「…それを、他の人に見せたら…、本当に殺すから…」
「見せねーし、無理だよ。だって、恭弥を見ていると出てくる顔なんだから」
「…歯が浮く。これだから、軟派な外人は…」
ぼそぼそと言う恭弥の声がふいに途切れて、ぱた…と、ディーノに倒れこんできた。
どうやら、酔いのままに眠たくなってしまったらしい。
そんな恭弥を見下ろして、ディーノはこれ以上ないくらい、緩んだ微笑を浮かべて。
愛しそうにその身体を抱きしめた。
恭弥には悪かったけど。こんな姿、見れただけでも連れてきて良かった。
目が覚めて、きちんと覚醒した時に。どんな無体な事をされるかと思うと、少し背筋がぞっとするが。
今は考えないようにしよう。ディーノは苦笑して、寝潰れてしまった恭弥を抱き上げ、ベッドに向かった。
*
そうして、夜半過ぎに目が覚めた恭弥に、予想通り散々な仕返しを受け。
ディーノは朝、起き上がる事ができなかった。
「……ったく…、ホントに容赦ねぇ…」
「文句言わなかったって事は、自分が悪かったと思ってるんだね」
「…ま、一応な…」
ぐったりとベッドにうつ伏せているディーノは、もごもごと擦れた声で言った。
「予想できたはずなのに、どうして僕を誘ったの?」
「今さらな質問だな、それ」
「いいから」
少しは気を使っているのか、ミネラルウォーターのペットボトルを持って来て、恭弥は差し出してくる。
身体はだるかったが、何とか身体をずり上げベッドの背にもたれ、礼を言って受け取った。
ごくごくと喉を潤してから「実はな」と切り出す。
「昨日のパーティ、乗り気じゃなくてさ。性に合わない奴等が何人か居たもんだから」
「……それにしては、完璧に営業スマイルだったね」
見事な程に、と付け加える恭弥に、苦笑する。
「お前が居たから、な。恭弥が同席してくれたら、嫌なのも薄れるかなー…って」
「なにそれ、僕はそんな事のだしにされたって…?」
「もう怒るなって!散々、腹いせしただろー?」
剣呑な空気になるのを、ディーノは慌てて遮った。
恭弥は面白く無さそうに見下ろしていたが「…確かに、気は済んだから良いけど」と、溜息をつく。
「オレも疑問なんだけど。恭弥は何で誘いに乗ってくれたんだ?」
「……………」
続けて不思議そうに聞くディーノを、ちらり…と横目で見るが。
「ただの気紛れだよ」と、恭弥はベッドから離れてしまう。
背中に「何だよそれー」と、不満げな声が聞こえるが、気にしない。
本当に気紛れだったのだから、嘘はない。
ただ、僕と違う世界に居るあなたを、一度は見てみたかったと。
そんな付加理由もなくはなかったけど。言うつもりはなかった。
結果。完璧に振舞うあなたに苛々するだけで。もう二度と付き合うか、と思ったけれど。
自分に向けたあの顔を見た瞬間、その苛立ちが消えてしまって。それが悔しくてその場から離れてしまった。
逃げるような行動を取った事が腹立たしくて、気を紛らわすようにワインを飲んで。
その後は…、恭弥は覚えている醜態に舌打ちをする。
“ねぇ、殺していい?僕以外に向けるあなたを”
酩酊の中で思った事は、本心の望みだったけれど。
それを叶えるためには、拉致して誘拐でもするしかないかと。
恭弥は深く深く、息を吐いたのだった。
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今度は後半が蛇足に…?最後のまとめにいつも迷います…、何も考えずに書き出すから…(笑)
うちの恭弥は酒は弱いです(笑)だって、あんまり飲んでないですしね!ディーノはかなり強い。
酒の力を借りて(をい)可愛い恭弥が書けてちょっとにやにや(爆)両方のパターンで泥酔状態のHを書きたい(爆)
あんまり酔わないけど、対応量を越すと甘えたになるディーノさんとか良いなぁ〜…(笑)
てゆーか、このお題、ラブラブになっちゃった、な(爆)