月光の中、中庭のはずれは昼間とは全く違った様相だった。
しぃ…ん、と静まり返る暗闇。日の光が無いだけで静寂はこれほどに寒々しさを与えるものなのか……
フリックはかろうじて月明かりで照らされた樹の根元に座り込んでいた。
今の時期は比較的暖かい。とはいえ…夜は地面からの冷えもあり、真夜中に散歩する物好きはそうは居ない。
確かに寒さを感じているのにも関わらずフリックは長い間、ぼう…と、欠けた月を見上げていた。
マントも無く部屋に居るような軽装で、身体はすっかり冷え切っている。
それでも身動ぎもしないまま、かなりの時間をそこで過ごしていた。
頭に思い描くのは昼間の出来事。
ふと視線を巡らせる。
その先には不自然に盛り上がった土と、その上に置かれた草花。
(今更…感傷に浸るわけでもないんだが…)
数える事も出来ないほどに命を奪ってきた、この手。
命の重さに何者も変わりはないが…悲しいとさえ思わない自分に苦笑を禁じえない。
それよりも、可哀想だな…という同情の念しかない。
ならば何故、彼は此処から動かないのか。
「自己満足と言われて……果たして否定できるのか…」
自嘲気味に口元をつり上げ前髪をかき上げる。
そう、引っ掛かっているのはルックに言われた言葉で。
「死んだものに何をしたって意味ないんだよ」
どういうつもりだったのかわからない。
何の意図も無かったのかも知れない。
しかし―――
自分の生き方を、否定されたような気がした。
「君に近づきたくて…君の見ていたものを必死で追ってきたけれど……」
これも無意味なのかも知れないな……
ひとりごちた言葉が空気に溶ける。
どれだけ頑張って追いつこうとしても、彼の人は遥か遠い遠い所に居て…
自分が足掻く姿さえ届いていないだろう。
……何のために俺は――…
「馬鹿だな」
さらに深みにはまろうとする思考を止め、溜息をついた。
幾度となく考えて、答えの出ない問答。
ほんの小さなきっかけで繰り返してしまう。その度に自分は弱いのだと思い知らされる。
だからといって立ち止まるわけにはいかないのだ。
たとえ意味が無い事であろうとも、自分にはこの生き方しか出来ないのだから。
何かに向かって走っていないと…自分は…
「行くか…」
軽く頭を振って溜め息をつく。身にしみてきた冷えに身を震わせ、樹を支えに立ち上がる。
他愛も無い一言だったのだろう。ルックにしてみればただ、自分の思った事を言っただけ。
そう結論づけて苦笑すると固まってしまった身体を伸びをして解きほぐし、戻ろうと城の方を向いた。
その時、全く今まで感じられなかった気配が動いた。
ずっとそこに居たのか、いま現れたのかそれすらもわからない。
気配は言葉と共に存在を露わにする。
「僕が殺したって言ったらどうする?」
突然の声に、は…っと頭を上げると、フリックと同じく、軽装の部屋着姿のルックが立っていた。
挨拶もなしの唐突の言葉。昼からの状況を考えてそれの意味を噛み締める。
フリックの眉が寄せられ、無表情のその顔を睨めつけた。
無意識に声が潜めるような低いものに変わる。
「……笑えない冗談はよせ」
「簡単だよ、ちょっと念じるだけでいい」
「ルック!!!」
なおも言う彼にフリックは思わず声を荒げ、静止のつもりで名を呼んだ。
強く視線を向けても能面のようなその顔は動かない。
「…こんなふうにね」
一歩近づいて短く呟くと、急に辺りがざわめき出した。
何かがくる…
持ち前の戦士の感でそれだけは感じられたが、認識するよりも早くそれは訪れた。
ひゅんっ……風が身体の周りを駆け抜けたと感じた瞬間、見えないモノが首に絡みつく。
「…っ!?…ぐ……っ」
首筋に纏わりつく冷たい感触。次第に喉が圧迫される。
おそらく何らかの魔法を使っているのだろうが…
無駄だとわかりつつも外そうと手をやるが、当然掴めない風は取り除かれることはなく。
「…っ、く…ぐ…っ」
苦しげに顔を歪ませて地面へと崩れ落ちる。供給の無い酸素に、意識が薄れ始めたところで開放された。
「……っげ、…ほっ…げほ…っ!」
急激に新鮮な空気が流れ込み変化に耐え切れず、激しく咳き込んだ。
「本気だったらもう死んでるよね、アンタ」
「…おまえ…っ!!」
苦しむ姿を眼前に捉え、淡々と言う様子に怒りを覚え苦しさも押さえて立ち上がると、胸倉を掴み上げた。
それでも表情も変わらない見上げる顔に、思わず振り上げた手を……
止められずにルックの頬へと降ろした。
乾いた接触の音があたりに響く。白いルックの頬が赤く色づくのを見てフリックは我に返った。
逃げようともしなかったルックを驚愕でマジマジと見つめる。
本当にはたこうとしたわけじゃない。絶対に避けると思ったのに。
「…すまん」
さすがに表情を歪めて痛む頬に手をやる姿に、思わず出る謝罪の言葉。
それを聞くとルックはさらに顔を顰めた。
「何で謝るの?」
てっきり怒っていると思ったのに、俯いていた視線を上げて現れたその表情は
今にも泣きそうな、そんな顔で
「………、」
息を飲んでその顔を見入る。ルックは気まずそうにまた視線を落とすと、溜め息をついた。
「優しいね、フリック」
ひりひりする頬を押さえて小さく言う。
「……え?」
先にした仕打ちへの言葉とも思えない。意味を捉えかねて聞き返す。
「やり過ぎたとでも思ってるんだろ?思ったよりも痛そうだったから、可哀想とでも思った?」
手を降ろして見つめる目は、既にもう凍り付いていて。
一瞬見たと思った頼りなげな表情は錯覚かと思ってしまうほど見事に変貌していた。
「その優しさと甘さが、僕は一番嫌いだ」
そして次に言われる言葉は、少年の魔法と同じく切り裂くように鋭かった。
吐き捨てるように言った後、ルックの周りにふわりと風が舞う。
「…っ、待て…!!」
それが転移魔法だと気付いた時、フリックは咄嗟に手を伸ばして腕を掴もうとする。
しかしそれは数秒遅く、虚しく空を切るだけだった。
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