clear eyes

何故こんなにも、心が揺れるのだろう

きっかけは些細な事だったはずだ

取るに足らない、日常の行動

何が琴線に触れたのか…自分でも不思議に思う

それでも、一度落ちた雫は波紋を広げ、壁にぶつかっては戻ってくる

そうして広がった波は止まる事無く

衝動を、突き動かす

無意識に追う

姿。仕草。声。表情。気配。

…その、存在を

感じる度に波は大きく、溢れ出るほどに揺れ動き

制御できずに、零れ落ちていく

いっそ、全て流れてしまえば

零れる衝撃で生まれる、この苛立ちも消えるだろう

あの存在を消してしまえば

楽になれると


思った




それなのに……

 

 

ごほ、ごほ…と軽く咳をする自分に、「風邪か?」と何度も問われた。
その度に適当な言い訳を掠れた声で返答する。

昨夜、思い切り圧迫された喉が今朝になって調子が悪くなっていた。
長い間冷えた場所に居たのも原因かも知れない。
しくしくと痛む喉に、暫くまともに話す事は出来なさそうだ。

その所為で先ほどフリックは会議から追い出されてしまった。
いや、それだけとも言えないだろう。
聞いていても上の空だった様子を見破られての処置かもしれない。
シュウの慧眼に舌を巻きつつ、考える時間をくれた事に感謝もする。
ふいに空いた時間をぶらぶらと歩きながら、昨夜の事を思い返していた。

(本当だとは思って居ないが…)

あいつとはそれほど親しい間柄じゃないが、そんな事が出来ない事くらいはわかる。
でなければ…あんな表情をするわけがない。

「あの子猫に見せていた、優しい顔は…嘘じゃないだろう…?ルック…」

あても無く足を動かしながら、声を出さずに呟く。

俺に気付く寸前まで、見せていた穏やかな表情。
あんな顔は初めて見た気がする。だからなのかは知らないが。

何故か、目を離せなかった。

(普段からもっと…あぁ、いう表情見せれば良いのに…)

その後、俺に話し掛ける瞳は、すぐに凍り付いてしまっていて。
惜しいな…と、何となく感じた。

(……ここ数日、あいつの事ばかり考えているな…俺は)
ぐるぐると移転する考えに苦笑しながら、歩幅をゆっくりにして苦笑する。

今まで、漠然と思っていただけのルックの印象は、数日で随分と混ざり合っている。
一体、何をしたいのか、何を言いたいのか。
それは「俺」に言いたい事なのか…それすらもわからなくて。
ただ、あの場で出会っただけだからなのか?

 

――――それとも…

 

 

ぼんやりと歩いていたら、いつの間にかあの場所に来ていた。
いや…無意識に此処に来るつもりで歩いていたのかも知れない。
ルックが居るかも知れないと思ったから。


「……最近、良く会うよね…」

そして予想通り、景色に溶け込むように静かに樹にもたれて、彼は居た。
近く…子猫が眠っている場所に。

「別に前まででも、ほぼ毎日顔を合わせていただろう?」

そう言ったつもりだった声は、かすれてほとんど音にならなかった。
自分でも驚いたような表情で、喉に手を当てる。
話そうとした振動で、納まっていた痛みが鈍く喉奥から伝わってきた。

その様子に眉を潜めたルックは、喉をさすっている俺の元にゆっくりと近づいて来る。
ふいに手を上げて、俺の首に手を当てた。
昨夜の出来事が脳裏をよぎるが、俺はそのまま動かずに、動向を見つめていた。

ルックは、ぴたりと手を当てたまま、真っ直ぐに視線を向ける。
暫く風のそよぐ音だけが流れて――…先に視線を外したのはルックの方だった。

「魔法医療班にでも、なんで診てもらわなかったの?」

そう呟いて視線を下げたルックの手の平から、暖かい波動を感じる。
徐々に薄れていく痛みに、それが癒しの為の魔法だとわかった。

時間にしてみれば数秒だったろうか…
こく…と、唾を飲み込んで、全く痛みの無い事を確認すると、有難う…と礼をした。
その言葉で、ルックの手は降ろされる。

「すぐ治るかと思ったからな…それに、この程度の事で診てもらうほどじゃないさ」

やっと自由になった声で先の問いに答える。
深呼吸をしている俺を横目に、ルックは、微かに笑いを漏らした。

「この程度の事、ね」

吐き捨てるように出される言葉に、顔を上げる。
僅かに刺があるように感じたのは気の所為ではないらしい。
俺を見るその瞳が…昨夜、去り際に見た時と同じ物だったから。
冷笑を浮かべたままに一度見上げ、そして子猫の墓へ視線を注ぐ。
「本気で、潰してやれば良かった。…あの、猫と同じように」
「…………ルック、俺は…お前があの子猫に何かしたとは思ってない」
背を向けて、墓の方へ近づいて行くルックに、静かに言葉を投げる。
どうしてそんな、惑わせるような事を言うのかわからなかったが、俺自身そう思っているのは確かだったから。
昨夜、動揺してしまった事を繰り返さないように、冷静に言葉を探していた。

数歩離れかけて、ぴた…と立ち止まったルックは、訝しげに振り向いた。

「…やけにきっぱりと言うんだね」
「お前はそんな事を出来る奴じゃないよ」
「………知ったような事を…、アンタが僕の何を知っているっていうの?」

ふわり…と身体が宙に浮いたかと思うと、数歩の距離が一瞬で埋まる。
頭一つ分、低かった視線が逆転した。高くなった目線から見下ろして、押し殺した声で続けた。

「殺されかけた相手に、良く言えるものだよ。昨夜、僕は……本気だったよ?…本気で、アンタを殺そうとした。でなければ、そこまでダメージを負う事はなかったはずだ」

淡々と述べて、上方から手を差し伸べると俺の顎を掴み、乱暴に上向かせる。
無理矢理に合わせられる視線。無機質な緑の瞳は、硬質なガラスのようだ。
でも…俺は確かに知っている、この色が冷たいだけのものじゃない事を。
だから振りほどく事もせずに、真っ直ぐに見つめて、口を挟む。
「確かにお前を理解しているなんて言えた間柄じゃない。でも、俺はお前の…優しさを知っている」
「……僕が優しい?」
「……………」

訝しげに片眉を上げながら、ルックは手を降ろして捕えていた顎を開放した。
魔力を緩め地に足を降ろす所作を見守り、話す時を待つ。

「この間の事だったか――…、あいつと一緒に迷子を探してやったんだって?」

聞いた話を思い出しながら、何を言い出すのか、待ち構えているルックに静かに話し出した。
言葉が届くと同時に、顰めた顔が更に嫌そうなものになる。
まずい事を持ち出された…と、言った様子で。

「……誰にも漏らすなと言ったはずなのに、存外に…口が軽いね、うちの城主は」
「あいつを責めてやるな。そこら中に言ってるわけじゃないさ…よほど嬉しかったんだろう、俺に話す様子を見る限りでは」

その様子を思い浮かべて、くす…と一つ、笑みを零すと、ルックに向き直る。
「昨日だって、結局…お前は止めた。そして、今も治してくれただろう?それに…先に、子猫を癒すように撫でていたお前は――…」
「やめてくれない?」

もう、十分だ…と、いった様子で言葉を打ち切る。
怒りの滲んだ声に俺は、は…っと顔を上げた。
切れるほどに噛み締めた唇、握った拳がその力の所為か僅かに震えていた。
「ルック…」
小さく名前を呼ぶと、頭を緩く横に振る。
「そんなの、違うんだよ…」
「……ルック?何て…?」
低い低い声。風に紛れてしまったそれを、聞き取る事が出来ずに問い直した。
微かに首を傾げる俺に、素早く腕を伸ばして胸倉を掴むと、力の限り引き寄せる。
「………っ、と…」
とはいえ、力の差はかなりある為、バランスを崩す事はなかったが。
俯いた表情は近づきすぎた為、窺い知れない。しかし、発する気配が…怒っている事を物語っている。
「俺はまた、お前を怒らせるような事を言ったか?」
到底、理解出来ない行動、言動に…さすがに溜息が漏れてしまった。

「そうだね、アンタは本当に…僕の心を揺らしてくれる」
押し殺した言葉に、疑問を投げる為、口を開こうとした時
唐突に触れる、唇の感触。

「…………っ!?」

突き飛ばされて離れた、一瞬で過ぎる感触に目を見開いて捕えたルックの表情は…
昨夜垣間見せた、あの切なげなものだった。

「僕はそんな認識を求めているんじゃない。僕が優しいだって?…笑わせる。甘いアンタが勝手に描いた想像でしかないよ」

俺はされた行為の事も忘れて、ルックを凝視する。その視線から逃れるように、俯いて強い口調で吐き出した。

「そんな表面を見られたくはなかった。アンタにだけは…、……やっと、機会を得たと思ったのに」

疑問も挟ませずに言い続ける。吐き捨てる口調、声色は刺が含まれるものだったのに。
搾り出す声が、泣き叫んでいるように聞こえたのは錯覚だっただろうか。

「……優しいアンタには、やっぱり…駄目なんだね…」

一言も発せられなかった俺を最後に見上げて微笑むと、止める間もなく…風へと消えてしまった。
昨夜と同じ、俺は…ただただ、呆然と消えた空間を見つめていた……

次の日、城内でルックの姿を見る事はなかった

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