clear eyes

もう何度、此処に足を向けただろう。
しぃ…ん、と静まり返った城内。夜も拭けてほとんどのものが眠りについているような時間。
静寂に包まれる中、フリックは主の居ない石板の前に座り込んで、溜息をついた。

(ここと、あの庭と……あとは、あいつの部屋…か)
最近ぐるぐると回っている場所をあげてみる。
しかし、思いつく場所はたったのそんなものでしかなく。
それほどに、自分とあいつとの接点は浅かったと言う事だ。

(この状況で、何とかしろって言ってもなぁ…)
フリックは頭をがりがりと荒く掻いて、リオウとの会話を思い出す。
あれ以来何の情報もくれないくせに、未だ戻らないルックをどうにかしろと言う。

俺だって何とかしたいのはやまやまであって。
わからない事も確めたい事も山ほどある。

聞きたい事を思い浮かべるうちに、俺は、ふと…自分の唇に触れた。
去り際に残した、あいつの…感触。
確かに感じた、暖かさは…あれは嫌がらせの類ではなかった気がする。

次に逢ったら何かがわかると思ったから。
今度こそちゃんと、あいつの言葉を聞きたかった。
だから…時間があれば、こうやって徘徊してるのだが。

(帰って来ないし)

はぁー…、とここ数日で癖になってしまった溜息を再度吐くと、石板に深くもたれて頭をつけた。
ひんやりとした感触が気持ち良い。
ぼう…と、高い天井を眺めていると、次第に眠気が襲ってきた。

たとえ何が起こっていようと、連日の仕事は待ってはくれない。
ぐるぐる考えをめぐらせながら走り回り、そして時間が空くとルックの姿を探している。
そんな日々に疲れもたまっているらしい。

いけない、と思いつつも…閉じていく瞼を押さえる事ができなかった……



(……と…、に……って奴は……)



(………気付かな…ても、そこまで……でき……だからね…)



………


………………

小さな呟きが、耳に届く。
聞き覚えのある声。綺麗な…心地良い声だな…と思った。


(でも……だから、……そ…な、アンタ…優し…が……)


半覚醒状態の、ぼう…っとした頭に届くそれは、夢の中のもののようで。
なかなか覚めない思考で、それでも聞き逃してはならないと、何故か…その声だけを無心に追っていた。


(ア…タ…の優しさ、甘さ……大嫌い…だ、……に向ける、……な感情…嫌い……だ、)


重い瞼は上がらない、でも聞き取れる言葉に、脳が悲しさを訴えてきた。
嫌いだなんて…言わないでくれよ。俺は…そんな、お前の事……


(で…もし…れが唯一、…分に、……けられ…ものなら……)


冷やりとした指先が頬に触れる。
その確かな感触を捕えて、意識がだんだん浮上してくる。

(…同……、は要らない……にだけ、見せ……れるなら、憎しみでも、殺意でも…怒りでもなんでも良い)

目を閉じていてもわかる、震え…切なげなその声で出す、最後の言葉が耳に届いた時…

「僕だけのアンタが…欲しいよ、フリック……」
「それが、お前の本音か?」

意識は完全に覚醒した。

今までの夢うつつに聞いていた言葉が一瞬で繋がり、頭で意味を成して伝わった。
声を出すと共に、開けた視界に映ったものは、本当に、本当に驚いた顔をして、目を見開くルックの顔だった。

「……っ、…」

慌てた様子で引かれる手を、咄嗟に握り締めて留める。
ぎゅ…と、固く手の平で包んで、それ以上引けないルックは立つに立てれず、床に膝をついた。

「寝たふり…?卑怯…な」
「ふり、じゃない…本当に寝てた。お前を待って…な」

手の中に、まだ引こうとする力を感じて力を強め

「逃げるなよ…ルック」

と、見上げる。しっかり握られた手に、振り払うのを諦めたのか、長く息を吐くと床にぺたん…と座った。

「どこから聞いてたの?」

暫く続いた無音の後、溜息と共に先に声を出したのはルックだった。
俺は夢うつつの間、ぼんやりと聞いた事を思い返しながら、緩く頭を振る。
「はっきりとはわからない…夢と思ってたからな。ただ…」
「……ただ?」
言い淀む俺に、促す言葉。
じぃ…と瞬きもせずに見つめるその翠の視線を受け止めきれずに、俯く。
「何となくだが、意味は感じ取れた。でも…確信が持てない」

落とした視線を彷徨わせて、心中で考えをまとめる。
ちゃんとわかりたかった。きちんと向き合いたかった。
わからないままで振り回されるのはもう、ごめんだったから。
呼吸を整えると、顔を上げて真正面から見据える。

「お前の今までの行動は、俺の理解の範疇を越えている。だからあえて率直に聞きたい。……お前は、俺をどう思ってるんだ?」

はっきりと何の小細工もせずに単刀直入に聞いた。
もともと駆引きが得意な方じゃない。迷って捉えられない事を、聞くだけだ。
でも、これでかわされたら…

如何すれば、と考える思考を反してルックは俺の言葉に応えてきた。

「……アンタの望む答え方をするならば、僕は…アンタに好意がある」

視線すら外さないものの、声の苦味と同じく…その表情も翳った色が見えて。
俺は自分が、まるで悪い事を聞きでもしたかのような錯覚を覚える。
聞きたかったルックの気持ちを聞けたのに、未だすっきりできないのは…その言葉に含みがあったから。
また、ルックの表情も素直に受け止めさせてはくれなかった。

それを裏付けるように、でもね…と、反する言葉を吐いてから
「…『好意』なんて生易しいものじゃないんだよ」
そう続けて、俺の首に手をかけた。
俺の足の上に跨って、何時ぞやと同じように両手で首を包む。
俺は振りほどこうともせずに、覆い被さるルックの顔から目が離せなかった。

「こんな感情…到底、理解ができるとは思えないけどね。実際、僕はアンタの好意が欲しかったわけじゃないし」
「何故だ?…好きなら、好かれたいだろう?でもお前は逆を行くばっかりで…っ」
「アンタには理解出来ないって言ってる」
不可解な事を解決させんが為に一気に言い募ろうとする俺の言葉を、ぴしゃりと切る。
二の句が告げれず息を詰まらせていると、体制を曲げたルックの顔が近づいてきた。
息がかかる距離。触れる寸前の位置で止まる。
「わからなくて当たり前だけどね。アンタはこれほどの渇望を覚えた事はないだろうから」
嘲笑を思わせる笑み。俺にはわからないと言ってのける事に、何で…、と言う間もなくルックの言葉が続いた。
「欲しいと想う感情…要らないよねアンタには。…だってもう、手に入れてるじゃない?」
そこで一旦切り、息を長く吸う。
俺はその所作をじ…っと見ていた。言おうとした言葉を遮られたまま、どうしても…声を出す事が出来なかった。
変わっていく、ルックの表情に、声を失っていた。

ルックは瞳を閉じて、吸った息を吐く。
……細く、細く。
そうして瞼を上げて、自分を見据えた表情は。
……もう、何度目になるだろうか…心が締め付けられるようなそんな……
切なくて、泣きそうな。常からは想像もできない頼りなげな…顔。

「もう、手に入れてるから…永遠に変わらない想いを」

それでも涙は見せる事無く、ぽつりと呟いた言葉を。

俺は否定、出来なかった。



何度も揺らぎながら、何処かで安心している。
彼女はもう触れる事さえ出来ないけれど。
でも…変わらない、記憶。想い…永遠に約束されたもの。
そう…彼女は絶対に裏切る事もなく、俺の心に鮮やかに刻み込まれていて。
安心しきって、縋りついている、美しい…姿。

ルックの言うように、先の戦争が終わった後。
俺は望む事をしなかった。
変わらない思い、それだけが全てだったから。
俺は…そこで、終わってしまっているから……

「……」

沈黙してしまった俺を見て、ルックは表情を和らげると、一瞬だけ俺の頭を撫でるような手つきをして立ち上がる。

「理解…しろって言ってるんじゃないんだよ…」

数歩離れて背を向けると、先ほど見た表情から窺い知れない、しっかりとした口調で言葉を出す。

「むしろ…わからなくて良かった。僕が欲しいものは、理解した上での優しさから成る物じゃないから。アンタの感情そのままの…強いモノが欲しかったんだから」

言葉を探し何も言えない俺に、ルックは自分の想いを吐き出していく。
塞き止めた水が溢れるように。

「それを得る機会を得たと思ったから。少しでも興味を、僕に対して持ってくれたから…僕は、行動を起こした。アンタの中に強烈に、鮮やかに刻み付けられるように、印象を残すために」
「……」
「……不可解だったろう?わからなかっただろう?僕の行動は、ねぇ?常識人のフリック」

くす…と、小さな笑い声を聞かせて、肩越しに俺を見る。
俺は素直に…こくん…と頷いて見せた。
やっぱりね、とばかりに、苦笑を返してくる。

「そこまでは上手く行ったみたいだけどね…でも、僕を…憎ませる事までは出来なかったみたい」
「どうして憎ませたいだなんて…?」
「……だってさ…たとえ好きになってもらっても、アンタの中で2番目にしかならないじゃない?」
つい促されるように出た問いに、さらりと答えることに、胸の奥が痛む。
わかっているから…俺の想いを十分にわかっているからこその、言葉。

「…そんなの欲しくないんだ。憎まれて、嫌われて…アンタにとって唯一のものと、同じくらい強い感情が欲しかったんだよ。もっと…もっと、僕の事を考えてくれるように。それが叶わないならば、本気で…殺してやろうと思った。でも……」

溜息に交じりながら呟く、小さな声は、周りの静寂に助けられて耳に届いた。
僅かに震えているように見える。自分を抱き締めるように腕を抱く姿に、引き摺られて石板に手をつきながら立つ。
腕に当てられた手が、ぎゅ…と握られ、服に皺を作って。

暫くの間を置いて、口を開いた。

「……アンタだったから、出来なかった」

掠れた声でそう言って、高い天井を仰ぐ。
ふう…と、一息吐いてから振り向いた顔は、想像したのと違う、自嘲気味な笑み。
浮かべたままで、ルックは…告白を告げた。

「殺せなかったんだよ。それほどに僕は…アンタに、惹かれていたらしい…」
「……っ…」

どうして俺は、こんなに真っ直ぐに向かう気持ちをわからなかったんだろう。
改めて見ると、どうだ。
この…全身でぶつかって来る少年の想いは。
リオウが呆れるのも無理はない。

俺が通る時に必ず居る事。
必ず、言葉が返って来る事。
思えば、いつも視線の端に居た気がする。
そんなに近くに、ずっと居たのに。

俺は…自分の事ばかりで…

ふう…と、溜息を吐いて頭を軽く振ると、拳を強く握り締めた。

きちんと…この想いを受け止めたい。
どう想ってるかなんて、過去と…どう…違うかなんて、すぐに答えは出ないけれど。
今、こうしてぶつけて来る思いに、精一杯応えたかった。

「……お前の望む事を、与えてやる事は無理だと思う、だが…」
憎む事は出来ないが…と、続けて、迷いながら頭の中で言葉を作り出していく。
何とか伝わるように、じ…っと、瞳を見つめて。

「…憎む事は、出来ない。でも…考えてみたいと…思った。お前の事を」
言いたい事が伝わっているだろうか?
俺の言葉を聞いて、ルックは心なしか驚いたような表情になる。

「同情とか、優しさとか…そんなんじゃなく。今まで安寧に逃げてきた自分の事も考えたいから…お前の事をちゃんと…」

そこまで言って、顔を上げると…突然にルックが顔を寄せて来た。
反射的に引こうとする身体を懸命に止めて、近づくルックの身体を受け止めて。

素直に…口付けを受けていた。

意識して受けるそれに、幾ばくか顔が高潮する。
軽く触れる程度に離れて、ルックは俺の顔を見ると、にこ…と微笑んだ。

それもまた、今まで見た事の無いような、綺麗な…笑顔で…

「本気に…考えてくれるんだね、今のでわかった。…もう……構わないよ、それで」

晴れやかな、その笑顔に…胸が跳ね上がるのを感じながら、ルックが離れていくのを目で追う。
初めて見るものがたくさんで、思考が追いつきそうにない。
落ち着いて、止まっていた感情が…動き出したような…

(俺はまだ…知らない事が多すぎるようだ)

早まる鼓動に息を吐きながら、そのまま部屋へ戻って行くルックを追った。

「予定は変わったけれど、アンタの中に残した印象は…消えそうにないようだから」
「心配ないさ。…お前みたいなのは初めてだからな」

本当に、初めてだ。ここまで動かされたのは…
口には出さなかったけれど。ルックはちらり…と振り返ると、まるで聞こえていたように微笑んで。

「……十分だね」

と…一言、呟いた。

 

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