3:そのカオ、ぞくぞくする
「昔は日本人って、みんなあーゆう格好してると思ってたんだよな」
とある休日。滞在していたホテルで、ディーノがぽつり…と言った。
その視線の先にあるのは、備え付けの大きな液晶テレビ。
中で活発に刀を振り回している、時代劇の映像が映っていた。
「時代錯誤もいいとこだね」
隣のソファで本を読んでいた恭弥は、ちらりと視線を投げて嘲笑混じりに言う。
馬鹿にした様子に気づいてないのか「だよなー」と、ディーノは頷いた。
「着物とか見たかったのにさ、普段着てる人ってあんま居ないんだよな」
「確かに、今は見る機会は少ないだろうね。うちでは普段着る事もあるけど」
「え、そうなのか?恭弥んち?」
何となく返事をしただけだったのだが。
ディーノが思いのほか興味を引かれたように、声を弾ませて聞いてくる。
金色の眼を大きく開けて「良いなぁ」と覗き込んできた。
「別に良い事はないよ」
「何か伝統的な感じがするじゃねーか。普通の服とは違うし」
「あれを想像されても困るけど…、ね」
未だ画面で奮闘している、いかにも侍と言った風の役者を見て溜息をついた。
「あれが普通と違う事くらいわかるって。でも、山本もあんな格好してたの見た事あるけど」
「それは武道用でしょ。普通は着流しぐらいで…」
「着流しって??」
つい流れで会話をしてしまい、恭弥はしまったな、と思っていた。
これはきっと嫌な流れになりそうだ。心中で思い視線を向けると。
ディーノは興味津々と言った風に見つめてきて、
「なぁ、恭弥んちで見せてくれよ」と、想像した通りの言葉を続けた。
「いやだ」
「えー、何でだよ。いーじゃねぇか少しくらい」
「あなたを連れて行くと、うちの風紀が乱れる」
「ひでえ!オレは歩く猥褻物か!」
恭弥はディーノの顔をまじまじと見て「それは言い得て妙だね」と頷いた。
言い回しの意味はわからなかったが、きっと良い事じゃねぇなー…とディーノは憮然とする。
「恭弥んちにも行ってみたかったんだけどなー」
ディーノは両手を組んで後頭部に当て、ソファにドサ…ともたれた。
残念そうに言う言葉に、恭弥はふと考えるように視線を落とすと、
「…一つ、条件を飲むなら考えてもいい」と、言った。
「…どうせろくな事じゃねーんだろ?」
「あなたが、着物を着てみせてくれるなら、いいよ」
「え、着せてくれるのか?」
胡乱げに目を細めて見ていたディーノの表情が、ぱっと明るくなる。
「金髪とその顔にはさぞかし不格好だろうからね、着て見せて」
「何だよ、からかうのが目的かー?でもいいぜ、着てみたかったし!オレは何でも着こなしてみせるぜ」
「……どうだろうね」
恭弥は、く…、と喉奥で笑むと。開いていた本を、パタン、と閉じた。
*
何回も日本には来ていたが、これだけ純和風の日本家屋を見るのは初めてだった。
物珍しげにディーノは案内された畳の部屋で辺りを見回す。
靴を脱ぐ習慣はツナの家で慣れたものだったが。
あの家はどちらかというと洋風で、畳の部屋はなかったから、
足もとのざらざらふにふにとする感触が珍しくて足踏みをする。
「何をしてるの」
そんな様子を見て、後ろから入ってきた恭弥は呆れたように呟く。
「ん?何か気持ち良くって、これ」
そう言ってしゃがみこむと、ぺたぺた…と畳の表面に手で触れていた。
その子供じみた様子に、恭弥は深い溜息をつく。
「馬鹿な事やってないで、とっとと脱ぎなよ」
「へ?」
「…服の上から着るつもり?」
「あ、そっか。そーだよな」
唐突に思えた言葉に、ディーノは瞬きするが、すぐに納得したように頷く。
ジャケットを脱ぎだす姿を横目で見ながら、恭弥は部屋の隅に歩いていく。
角に備え付けられた古びた木色の和箪笥を開き、ごそごそと物色しだした。
「なー、恭弥ーどこまで脱ぐんだー?」
とりあえず上着は脱いだものの、良く分からずにディーノが聞くと。
恭弥は「全部」と軽く言う。それにぎょっとして、ベルトにかけていた手が止まった。
「え、パンツも??」
「着物ってのは、下着のラインがでないように何も身につけないんだよ」
「そ…、そうなんだ…」
知らなかったなぁ…と、困惑しつつも、ディーノはだぼだぼのズボンを脱いだ。
少しだけ逡巡して、先に下着を降ろしジャケットの方へ放る。
シャツ1枚の姿になって、箪笥から長い紙の包みを持ってきた恭弥に視線をやった。
長い裾のシャツのため、かろうじて局部は見えないが。
(なんつーか、恭弥がきちんと制服を着てる前で素っ裸になるってゆーのがなぁ…)
畳に膝をついて紙の包みをディーノの横に置く恭弥を、ちらりと見る。
包みの紐を解いて中を確めようとしていた視線が、ふいに上がった。
「早くして」
「あ、あぁ…」
平然と言う恭弥に、自分だけ意識してるのが馬鹿らしくなって。
ディーノは、ま…いっか。と諦めてシャツを捲くった。脱ぐ事自体に拘りはない。
ぽい…と、衣服の塊の方へシャツを投げ、裸になったディーノを、恭弥はまじまじと見つめた。
こうして改めて見ると、バランスの良い身体だなと思う。
「…あんま見てんなって」
言葉を止めて、じ…、と見上げる視線に苦笑して、ディーノは息をつく。
純粋に綺麗な体躯だと思った事に内心で舌打ちし、恭弥は紙の包みから着物を取り出した。
「……AV男優になったらさぞかしモテそうだね」
「おま、言うに事欠いて…」
気持ちを隠すように揶揄って立ちあがり、手に持っていた黒地の着物を目の前に開いた。
文句を言いかけたディーノだったが、目の前に広がった鮮やかな光景にそれを止める。
「っわー…、きっれーだなー…!」
黒に鮮やかな牡丹の花が大きく全面に染め付けられたそれは、素人が見ても美しく華やかだと思う。
赤に淡紅色と鮮やかな色の花が、白い輪郭でくっきりと闇のような地に浮かび上がっていて。
派手に見えるのに下品さを感じない。日本のこーゆう色使いって、綺麗だよなー…と、感嘆して思いつつ。
ディーノはふと、引っ掛かりを覚えた。
「…………なぁ、恭弥…つかぬ事を聞くけどさ…」
「何?」
「これ、…女物に見えるんだけど…」
「そうだね、間違いではないよ」
問いに淡々と答えて背後に回ると、恭弥は広げた着物をディーノの肩にかけた。
「お…ま…、え…。女物着るなんて…言ってな…!!」
「僕も。男物を着せてあげるなんて一言も言ってないよ。ほら、ここが袖だから、通して」
外から袖の穴に自らの手を通し、ディーノの腕を掴む。
わなわな…と、握っていた拳が震えるが。横を見た恭弥に、薄く笑みが浮かんでいるのを見て。
ひく…と、口元が引き攣る。
「何でも着こなして見せるって、言ったよね」
実に楽しそうに笑んでそう言う恭弥に、はめられたー…と。ディーノはがっくりと肩を落とす。
(そうだよなー…、恭弥だもんなー…)
嫌がらせのレベルとしてはこれくらいあってもおかしくなかったよな…と、項垂れる。
恭弥んちに来れた事で浮かれていて、すっかり乗せられてしまった。
それに言ってしまった事は事実だ、仕方ない。こうなったら、気持ち悪い女装になろうと、着てやろーじゃねーか。
そう腹をくくると、ディーノは恭弥の促すままに袖に腕を通す。
「着る気になったんだ」
「いーよ、もう…。ただし、気持ち悪いとか言って殴ったりすんなよ…」
がっくりと諦めたように言うディーノに薄く笑い。恭弥はてきぱきとそれを着付けていった。
「……手馴れたもんだな、女物の着物だっつーのに」
「正確には浴衣だけどね。女の着物は難しいけど、浴衣くらいなら自分も着るし応用でできる」
「違いが良くわかんねーけど…」
「着物はもっと枚数が多い。浴衣は簡易的なんだよ」
前を合わせて、抱き締めるようにディーノの身体に腕を回して来て、どき…と恭弥の頭を見下ろした。
紐を身体に沿わせて縛ろうとしているらしい。
巻きついた着物を身体に、つつつ…となぞって指で密着させていく。
その触り方が、何とも微妙な加減で。ディーノは少しだけ妙な気分になってしまう。
脇腹を辿るように布を撫で付けられ、小さく首を竦めた。
それに気付いているのかどうだか、恭弥は紐をしゅるしゅると手際良く巻いて、合わせを結んだ。
たるんでいた部分を袖の大きく開いた所から手を入れて、トントン…と伸ばす。
その際も何となく直接、肌にわざと触れて行っている気がする。
ディーノは身動きも取れなくて(衣服の構造がわからなくて下手に動けない)憮然とするしかない。
恭弥は素知らぬ顔で離れると、紙の包みから、綺麗な紅色の布を取り出した。
それにも刺繍で花の柄が入っていて、何ともあでやかだ。
「きれー…だなぁ…、それなんだ?」
「装飾の帯だよ。…確かに良い色だね、赤は好きだよ」
血の色だしね…と、物騒な事を続けて、恭弥は口端をつり上げる。
理由には賛同できなかったが。光沢を帯びたそれは、確かに美しいと思う。
ただ、艶やか過ぎるそれが男のオレに合うかは、また別問題だ。
帯を持って再び恭弥は抱きつくように手を回してくる。
微妙な手つきには困ったものだが、こういうスキンシップはあまりないから。
何だか恭弥が近くてちょっと嬉しかったりする自分に苦笑した。
「…帯の結びはさすがにわからないな…。まぁ…蝶々で良いか…」
巻きながらぶつぶつ…と、小さく呟くのを聞いて、ディーノはこっそり笑う。
女の子に着付けたりして覚えたならちょっと妬けるな…と思ったが。
本当に知識として覚えている事を実戦しているだけらしい。
それにしては器用にこなしているから、自分で着れるというは嘘ではないのだろう。
背中の方に回って、ぎゅ…っ、と引っ張られるような感触があった後。
「できた」と短い声がした。
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2008.03.23