ようやく本気を見せ始めたあなたに、ぞくぞくしながら、攻撃を繰り出す。
かすった打撃が頬を裂き、血が飛び散る。互いに致命傷一歩前の攻防。
楽しくてたまらない。永遠にこの時間が続けば良いのに。
でも、そんな愉悦の時間を、あなたはあっさりと終わらせる。
どちらかが倒れるまで、続ければ良いのに。
自分の足元はふらついていたが、そんなのはどうでも良かった。
限界まで、どちらかが沈むまで、戦って戦って。そうしたら満足できるんだろうか。
足りなかった。もっとやれるのに。もっと…やりたい、のに。
今日はまだ、何かが燻っていて、血が騒いでいた。
戦いの中で、相手の殺気が垣間見えるようになったのは今日が初めて。
余裕がなくなってきた事に、自然と笑みが浮かぶ。それは、自分が引き出したのだから。
切れるようなあなたの殺気は、なんて心地が良いんだろう。
そんなものと何時間も戦っていたからだろうか、なかなか身体の熱が治まらなかった。
いや…、違う。部屋に入ったとたん確信した。原因はこの匂いだ。
逃げ場のない空間の中で、互いから発する香りは濃くなる一方だった。
まとわりつく、血の匂い。
(くらくらする…)
あなたからの血の香りは、香水と混ざって、何故か甘くさえ感じる。
…あぁ…、たまらない。
興奮が治まらなくて、僕は振り返ったあなたの、血の残る唇に噛みついたんだ。
*
次の日。
朝から鬱陶しいくらい沈んでいるディーノに、恭弥はあからさまに不機嫌そうなため息をつく。
「別にいいじゃない。sexじゃなけりゃ良いんでしょ」
「……そーゆう問題じゃない!」
落ち込んでいる理由はただ一つ。昨晩の恭弥の部屋での失態だった。
(あの程度の事で流されちまうなんて…)
自ら手を伸ばした事については、遺憾はないのだ。
本当にただ、欲求を持て余した恭弥を発散させるためだったのだから。
問題はあの時、恭弥の手を拒めなかった事。
数日前、性的な悪ふざけを受けた時、オレは本気で恭弥を拒んだ。
生徒として気に入ってる恭弥と、身体で繋がる事が嫌だったからだ。
想いがなければ、限りなく軽くなる関係になりたくないと思ったからだ。
一方的に触れるのならば、それに踏み込む事はないと思って、昨晩も恭弥だけ解消させてやろうと思ったのに。
でも欲を湛えた、濡れた瞳に惹き込まれてしまった。
互いにアレに触れて高めあうなんて行為。あんなの、sexと変わらない。
しかも、オレから恭弥にキスをした。明らかに自分からの合意を示したのだ。
(オレ、そーゆう趣味ないはずなんだけどなー…)ディーノは額に手をあて、俯いた。
誓って少年に欲望を抱くような趣味は、今までにない。
それに恭弥は、整っているとはいえ少女のような可愛らしい顔立ちをしているわけじゃない。
女性の変わりとかではく。あの時オレは “恭弥” に欲情したのだ。
「もういいから。今日から外でやるんでしょ、早く連れてってくれない」
いい加減焦れたらしい恭弥が、俯いた頭を、ごん、と殴る。
「いてぇ」と恨めしげに見上げながらも、ディーノは立ち上がった。
そうだ、今日から集中して修行するんだった。
頭を切り替え、気を引き締める。ぼうっとしてると恭弥に殺されかねない。
「じゃ、そろそろ行くか。今日はまず、山に行くぞ」
「ボス。車は下に用意してあるぜ」
「Grazie」
頃合を見て部屋に来たロマーリオに軽く礼を言って、ディーノは恭弥を促した。
さぁ、真剣勝負の始まりだ。
*
パーン!!
薄暗い辺りに、銃声が響き渡る。
ちょうど連撃が途切れ、飛び離れて間をとっていたディーノと恭弥は、
突然聞こえた大きな音に、びく…っ、と動きを止めて傍らの発信源を見た。
「そろそろ時間だぜ、ボス」
視線を向けた時には、もう胸のホルダーに銃をしまっていたロマーリオがそう言う。
(もうそんな時間か…)構えを解いたディーノは、いつのまにか暗くなっていた空を仰いだ。
もはや夕日の赤も見えない。30分もすれば、辺りは真っ暗になるだろう。
『きっと時間の感覚がなくなるだろうから、タイミングをみて止めてくれ』と、
予めロマーリオに頼んでおいたのだが、案の定、没頭していたらしい。
ディーノは、「はーーーー…」と長く息を吐いて、その場にへたりこむ。
「疲れた…」
と、思わずぼやいてしまうくらい、今日の訓練はハードだった。
今では修行と言えるのかもわからない。終始真剣勝負で、一瞬の油断もできないのだ。
自分がこのくらいの年齢だった時を考えると、本当に驚異的と言える。
「もう終わり?」
戦いの後の恒例となってしまった恭弥の台詞も、今日は肩で息をしながらだった。
流石に疲労している姿に、(あったりまえだ)と憮然とする。
これでケロリとしていられたら、オレの立場がない。
「朝から戦いっぱなしだぜ?お前、まだ足りねぇのかよ」
「……足りないね」
そう言う恭弥は、未だ瞳から戦意を消さずに、口元の血を袖で拭っていた。
勘弁してくれー…、とディーノはため息をつく。
この戦闘への飽くなき欲求は、何からできているのか。
これだけ能力があって、この意欲。今まで、平和な日本ではさぞ退屈していただろうな、と思う。
(あぁ…、だからなのかもな)ディーノは後ろに両手を着いて、暗くなった天を仰ぐ。
誰にも止められる事なく、戦い続けられる今の状況が楽しいのかも知れない。
しかも、全力で向かっても、終わらない相手。
「…オレがもし負けたら、お前はこの修行に興味をなくすんだろうなぁ」
ふと、思った事をディーノは呟いていた。
もともと修行だと思って来ていない恭弥が大人しく付き合っているのは、
ただ己の戦闘欲求を満たせるからだ。それには自分は少なくとも同等でいなければならない。
いつまで保っていられるのか、本当にわからなくなってきた。
「僕がこんな所まで着いてきたのは、あなたを咬み殺すためだよ」
「だよな。つまりは、オレが負けちまったら、もう家庭教師じゃなくなるって事だ」
「…もとより、教わっているつもりはないけど」
声を低くして憮然とする恭弥に、ディーノは苦笑した。
「負けるつもりなんて、ないくせに」
続ける声に、苛立ちを感じたのは気のせいか。
振り返って見ると、恭弥は、びし…っ、とトンファーを一振りして血を吹き飛ばし、踵を返す。
戻ろうとしているのだと察して、自分も立ち上がり、ロマーリオに目配せした。
「ほら、恭弥。タオル」
「いらない」
ロマーリオが差し出したタオルを無視して、麓の方へ歩いて行く。
最初に停めた車まで戻ろうとしているのだ。
「どうしたんだ、あいつ」
その背を見ながら、ロマーリオは頭に手をやって、嘆息する。
「何か、ぴりぴりしてねーか?」そう続ける彼にディーノも頷いた。
「…ただ戦いたりねーだけかも知れないけどな」
「全く、呆れたガキだな」
所存をなくしたタオルをディーノに渡して、ロマ―リオは肩を竦める。
受け取って、頬に流れた血を拭いながら、ディーノは目を細めた。
それだけにしては、少し様子がおかしい気もするが…
「あー…、ま、いいや。何か様子は気になるが、明日で良いだろ」
「お疲れさん、ボス。早く戻らないと、車でまた恭弥が切れるぜ」
ディーノは苦笑して「そうだな」と足早に行くロマ―リオに続いた。
疲れきっていたディーノは、深く考えるのが億劫で適当に流してしまった。
それを後で、後悔する事になる。
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